GOING WEST 西へ…

1997/09/25 東映試写室
淡島千景と大沢樹生が東京から松山まで旅するロードムービー。
話がでたらめで観ていられない仕上がり。by K. Hattori



 夫に先立たれ、東京亀戸で長年ひとり酒屋を守ってきた淡島千景が、ぼや騒ぎで店をたたんだことを機に、夫の残したミニクーパーに乗って生まれ故郷の松山を目指す。途中で大沢樹生と藤谷美紀のカップルと合流し、大沢を追うやくざ連中の追跡をかわしながらのロードムービー。物語のアイデアはともかくとして、映画としてはまったく面白くもおかしくもない退屈なでき。演出や芝居云々以前に、脚本に大きな問題がある。物語に伏線というものがなく、あらゆる出来事が突然はじまるから、観ているこちらは面食らってしまうのです。

 映画序盤の滑り出しはそんなに悪くない。淡島千景と清川虹子が老婆同士の掛け合いを演じる部分など、お芝居としては絶品。飲み潰れた淡島が一升瓶を枕に眠り始めた頃から映画に暗雲が立ち込め、ぼや騒ぎあたりからは思い付きと行き当たりばったりの連続。いろいろと映画に盛り込みたい内容があるのはわかるけど、それらが脈絡も何もなしに突然物語に侵入してくる無作法さ、無遠慮さ。物には順序というものがあるのにね。

 淡島が引き取られた長男宅は、小さな敷地一杯に建てた3階建て住宅ですが、よりによってその3階に母親の部屋をしつらえる感覚が僕には理解できない。年寄りが3階までの階段を毎日上り下りさせられるわけです。これは演出上の問題かもしれないけど、次の補聴器問題は明らかに脚本の問題。淡島の耳が遠いという描写なしに、突然補聴器をプレゼントされては、淡島も驚くだろうけど、観客も驚く。「年寄り=耳が遠い」という短絡思考のデリカシーの無さだけが目立って不愉快でした。製作者たちはこの映画を通して「老人問題」を描きたかったらしいのですが、こんな無神経な描写を平気でまかり通らせておく人間に、まともに「老人問題」が語れるとは思えません。もう少し神経を使って欲しいものです。

 老人が主人公のロードムービーですが、主人公が松山行きを決意するきっかけが弱すぎる。出発したのは酒の勢いでもいいけど、その後はもう少し工夫しなきゃ話が続いて行かないよ。例えば、ある程度東京から離れた時点で引き返そうと思ったときに、たまたま大沢をみつけて追いかけるとか……。話の流れの中で、ほんの一言か二言説明があるだけでだいぶ違うのに、その努力を怠っているから全体に無理が出る。長距離ドライブはただでさえ疲れるものなのに、ましてや車が小型のミニクーパーでは、老人にはかなり骨身にこたえるはず。移動中にはガソリンも入れなきゃならない、食料も仕入れなければならない、トイレにも行きたくなるし、睡眠も必要です。この映画はそうした長旅のディテールを切っているため、旅姿にリアリティがありません。

 老人のロードムービーとしては、ジェシカ・タンディの『カミーラ/あなたといた夏』という佳作がある。たぶん参考にしたとは思うんだけど、その足もとにも及んでいない作品だ。失敗作や駄作というのではない。これは技術がないまま映画を作ってしまった結果なのだ。


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