ナイト・フライヤー

1997/09/10 GAGA試写室
平均点以上の仕上がりだが撮り方次第でもっとよくなったはず。
スティーブン・キング原作の現代版吸血鬼物語。by K. Hattori



 スティーブン・キングの短編小説「ナイト・フライヤー」の映画化作品。アメリカ各地にある小さな飛行場に、黒塗りのセスナで夜間着陸しては、従業員を殺して血をすする連続殺人鬼。その正体を探るべく取材に飛び回る新聞記者が、最後に見たものとは……。ほぼ原作通りのストーリーラインで、最後までワクワクドキドキ観てしまいますが、モンスター系のホラー作品としては不気味さや怖さがいまひとつ足りない。生理的な嫌悪感として訴えてくる部分が、もう少し加味されると面白かったと思う。この映画の面白さは、80%までがお話の面白さであり、原作の面白さだと思う。ラストは原作を離れて、さらに恐怖を盛り上げようとしていますが、ここは完全に失敗してしまったと思う。物語としての矛盾もここで一気に噴出してしまったし……。

 飛行機を使って移動する、現代版ドラキュラ伯爵の物語です。この物語を楽しむためには、前提として正統派ドラキュラについての知識がなければならない。ゴシック・ホラーの古典に描かれている小道具やエピソードを、どうやって現代科学の中に置き換えているのか。スティーブン・キングは同じことを長編小説「呪われた町」(映画化タイトルは『死霊伝説』。監督はトビー・フーパー)で行ない、ヨーロッパ産の吸血鬼物語を、見事にアメリカの田舎町に移植した小説家です。この「ナイト・フライヤー」では、黒塗りのセスナ機をドラキュラの棺桶に見立て、行動半径を飛躍的に大きくした。ドラキュラ伯爵は町外れにある「吸血鬼の館」と、地下の棺桶置き場から開放され、自由自在に自分の獲物をハントすることができるようになった。

 「ナイト・フライヤー」というのは、このアイデアだけで一発勝負の話です。吸血鬼がいて、それを追いかける記者がいる。それだけの人物配置で、単純そのもの。追いついた記者は、最後の最後になってあまりの恐怖に身がすくんでしまう。自分の力の及ばない超自然の力を前に、すべてを投げ捨てて逃げ出してしまう。映画の難点は、主人公がいつから「ナイト・フライヤー」を超自然の力だと感じたかという点が明確でないところだ。最初は単純な連続殺人だと思っていた主人公が、犯行手口や犯人の足跡を取材して行く中で、「犯人は人間ではない」と確信するようになる。彼はどこでそれを確信したのだろう。ひょっとしたらこの物語はラストシーンより、こうした「主人公の意識変化」の方がドラマチックなのではないかと思う。

 被害者の口の中から十字架が出てくる場面は、本来なら主人公の心胆を寒からしめる究極の恐怖のはずなんですが、「吸血鬼は十字架に弱い」という前提が徹底していないため恐怖描写としては弱い。原作のクライマックスにある「血の小便」もそのまま出てきましたが、これも恐怖を盛り上げるものではない。トイレの場面は撮り方次第でもっともっと恐くなると思うんだけど、あと一歩の工夫がなされていないのがこの映画の欠点かな。


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