黒い十人の女

1997/08/28 徳間ホール(試写会)
妻と9人の愛人が共謀して、ひとりの男を社会的に抹殺する物語。
昭和36年に大映で製作された市川崑作品。by K. Hattori



 昭和36年に市川崑が大映で撮った現代劇。脚本は和田夏十。妻がありながら、9人の愛人を持つテレビ・プロデューサーが、女たちの共謀で社会的に抹殺される様子が、ブラックユーモアたっぷりに描かれる。妻を演じるのは山本富士子。愛人には、岸恵子、宮城まり子、中村玉緒、岸田今日子その他が扮していて、今観るとかなり「こわ〜い」顔ぶれです。こんな女たちの間を飛びまわっている男がどんな色男かと思ったら、これがあまり冴えない船越英二。いつも眠そうでくたびれた顔をして、しょぼしょぼとスタジオの隅で出前のカツライスを食べているような男だ。風にそよぐアシのように、いかようにでも流されて行く際限のない柔軟さがこの男の信条。これはこれで、なかなか説得力のあるキャスティングに思えるから不思議です。

 観ていて「この映画は今なら広告代理店あたりを舞台にしてリメイクできるな」と思いました。もちろんテレビ局でも成立する話でしょうが、現在はこの映画が作られた時ほど「映画対テレビ」という対立がはっきりしていないから、昭和36年当時ほどの風刺性が出ないと思う。逆に斜陽しきった映画の世界を舞台にした方が面白かったりして……。実体がぜんぜん伴っていないのに、どこかで未だに「きらびやかな世界」という幻想にしがみついている男と女……。ちょっとブラックすぎるかな。この映画の中では、自殺した宮城まり子が幽霊になって現われるところを、映画的なトリックをほとんど使わずに描いています。これなどは舞台劇の雰囲気。

 物語の中には現代に通じる普遍的なテーマがあるし、個性的な人物像もまったく古びていません。描かれているエピソードの大部分は、今でもじつに瑞々しい。しかし同時に、この映画は昭和36年の風俗を皮肉ったがゆえに、36年後の今観て古臭く感じさせるところも持ち合わせている。細かい生活のディテールなんてどうでもいいんです。現代の目から見て「これは困った……」と思うのは、自殺してしまう宮城まり子かな。この人物像は現代ではほとんど受け入れられないでしょう。役回りは同じでも、もっと別の性格付けをする必要があると思う。岸恵子扮する女優も、男を独占したら仕事を辞めてしまうというのがつまらない。女は自分の仕事と生活を満喫し、その上で男を飼い殺しにしてほしい。これは平成9年の観客から見た、この映画への注文。

 船越英二が演じたテレビ・プロデューサーのキャラクターは秀逸です。膨大な仕事を手際よくさばく才に長けて、自分で何かを作り出すことはしていない人物。自分がそのとき何をしているのか、自分のしたことがどんな結果を引き起こすかにほとんど興味を持てないまま、ただ「今この時」という「点」としてしか存在しない人物。彼はものすごくたくさんの仕事をしているようで、じつは何もしていない。この当時はかなり皮肉くって描かれている人物像なんでしょうが、今やこういう人は、どんなところにでもいますよね。


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