喝采の扉
[虎度門]

1997/08/26 シネセゾン試写室
広東オペラの花形女優と、劇団員と、家族と、息子と、ファンの物語。
主演のジョゼフィーン・シャオが素晴らしい。by K. Hattori



 舞台演劇の大スターを主人公にして、ちゃんとそれふうに見えているところに感心した。これは当たり前なように見えて、なかなか難しいことなのです。主人公である女優リャン・キムサム役のジョゼフィーン・シャオは、本当に広東オペラの女優なのではないかと思わせるほど熱のこもった舞台場面を見せてくれました。ものすごく本物っぽいのです。よく見るとカメラアングルやカット割りで動きをごまかしているところがあるし、カメラが引いているところでは吹替えらしきところもあるのですが、映画としてはこれで十分に許容範囲内です。

 主人公が自宅の庭で彼女が小道具の剣をクルクル回しながら稽古している場面では、剣さばきに余裕が見えます。おそらくこの場面だけでも、かなりの練習をしているはず。体を動かして役を体に叩き込む、役者根性のすごさを感じます。彼女は大昔に少しは広東歌劇の訓練を受けたことがあるようですが、それだけではこれだけのことはできないでしょう。舞台の上で見せる立ち回りなども、なかなか堂に入ったもの。超人的な芸を披露するわけではありませんが、大女優の「風格」のようなものをきちんと肉体で再現しています。

 ジョゼフィーン・シャオに比べると、若手女優ユクション役で登場したアニタ・ユンに、今回は生彩がない。映画の最後に主人公がユクションを後継者として指名する場面では、「おいおい、大丈夫かよ〜」と不安になってしまった。ユクションには父親や恋人とのエピソードなど、舞台以外のエピソードは多いんですが、舞台の上での実力が、映画を観ている側に伝わってこない。女優としてはあまりにも未知数に思えてしまうんです。これはそれまでの場面で、ほんの数行の台詞、ほんの数シーンの描写があればそれで事足りるのですが……。アニタ・ユンの持つ粘り強さや明るさが、今回はあまり発揮できていなかったのが残念でした。

 劇団員たちとのエピソードや、家族のエピソードに比べると、主人公と息子のエピソードはあまりにも古臭く、時代がかって見える。ただしこのエピソードがないと、タイトルの『虎度門』が生きてこないのです。虎度門(フードゥモン)とは、楽屋と舞台の境界線のこと。役者しての人生と、女としての人生の境界線が「虎度門」というタイトルには込められている。息子のエピソードは、役者の私生活が芝居以上に芝居がかっていることの象徴なのでしょう。これがなくなると、主人公の私生活がいかにも薄っぺらでステレオタイプなものになってしまう。香港返還直前のオーストラリア移住計画も、夫の事業の失敗も、娘のレズビアン宣言も、個別のバラバラなエピソードとして拡散してしまうでしょう。主人公の秘密が、これらの数多くのエピソードを、結果としてはつなぎ止めているのだと思います。

 劇団関係のキャラクターがみんな生き生きしていて面白かった。楽屋で全員揃って食事をする場面は最高。役者と演出家が、芝居仕立てで論争する場面もユニーク。


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