座頭市血煙り街道

1997/08/20 銀座シネパトス2
勝新太郎と近衛十四郎の対決は段取りなしの本物。
チャンバラ映画が放つ最後の輝きです。by K. Hattori



 戦前からの剣劇スター、近衛十四郎を相手役に迎えたシリーズ17作目。近衛は抜き打ちのスピードが日本一と言われた剣豪。戦争中は実演で派手な殺陣に磨きをかけ、豪快でスピード感あふれる殺陣で、チャンバラファンを熱狂させたという。この映画では、近衛と勝新太郎が段取りなしで立ち回りを演じることが見どころになっている。スクリーンで観ても、両者の気合や緊張感がぴりぴりと伝わってきて、なかなかの迫力。惜しいのは、あまりにも立ち回りのスピードが速すぎて、何がどうなっているのか瞬時にはよくわからないこと。これはビデオか何かで、繰り返し観ないと本当のすごさがわからないかもしれません。今ではどんな俳優がやろうとしても不可能な、一世一代の名場面でしょう。

 二人の立ち回りには、一応のカット割りなどがされているので、まったく打合せなしでゼロから撮影に入ったのではないらしいことがわかります。完全にゼロからでは、その時の流れで近衛が勝座頭市を斬ってしまいかねませんしね。それでは映画にならないので、一応の段取りは決まっていたはずです。ただしそこから先は、二人の技と技のぶつかり合い。目にも留まらぬスピードで次々に相手に打ち込めるのは、何よりも「この程度では相手も怪我をしないだろう」という信頼感があるからこそだし、相手の打ち込みをかわしたり受け流す場面の迫力は、刀身に体重をかけて相手に斬り込んでいるからでしょう。ひょっとしたら、この立ち回りを演じていた二人には、「このすごさがわかるのは俺達だけだ」という自負があったかもしれませんね。

 近衛十四郎はいいからみ役に恵まれない戦中戦後の実演巡業の中で、観客にうける立ち回りを作るために、人一倍体を動かしてきた人です。下手なからみ役が相手では、どんなに殺陣の段取りを決めても本番で役に立たない。そこで、からみ役をあてにせず、自分自身のアクションで見せる殺陣を磨き上げてきた。一方の勝新太郎は、立ち回りのリアリティを出すために、殺陣の細部は本番で自己流にアレンジしてしまうという危険極まりない人物です。この二人の立ち会いで、細部まで殺陣をつけられるはずがない。この映画の立ち回りが、まぎれもなく本物の迫力を生んでいるのは当然と言えるでしょう。

 チャンバラ映画は、俳優の持っている技芸や力量によって大きく内容が左右されてしまうジャンルの映画です。勝新太郎や近衛十四郎のような達人は、今後も二度と現われないでしょう。これはミュージカル映画というジャンルが芸人の技芸を資本としており、ジーン・ケリーやアステアのような名人が二度と現われないだろうというのと同じことです。近衛十四郎の逆手斬りを勝新太郎が引き継いでも、勝新太郎の芸を引き継ぐ者はもう現われない。製作コストがかさむ時代劇の製作を映画会社が敬遠し、活躍の場を与えられないチャンバラ映画志願の役者は技を磨く機会を奪われ、こうして時代劇、中でもチャンバラ映画は滅びて行くのです。


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