殺し屋&嘘つき娘
Shoot, My Darlin'

1997/07/18 松竹第1試写室
製作・脚本・監督・主演を兼ねた小沢仁志の個人映画。
脚本がデタラメで物語になってない。by K. Hattori



 路線としては『SCORE』と同じセンをねらっているのでしょうが、映画のできはかなり落ちる。スタントなしのアクションシーンや、弾着シーンの描写など、製作・監督・脚本・主演の4役をこなした小沢仁志の徹底したアクション指向は健在。この点だけは、画面から汗と硝煙の臭いが漂ってくるような迫力でした。作り手の意気込みはビリビリ伝わってきますが、この過激なアクションを支える物語がデタラメすぎるのはやはり致命的です。荒唐無稽なアクション映画でも、最低限の段取りや、観客に飲み込んでおいてもらわなければならない前提があるはず。そのへんがおざなりなまま、「まずアクションありき」になっているような気がしました。

 話の弱さを徹底した物量作戦で乗り切るハリウッド映画的な手法は使えないのだから、このクラスの映画は物理的に経費の発生しない「脚本」にもっと頭を使わなければならない。室賀厚と大川俊道の書いた『SCORE』の脚本には、低予算でアクションを成立させる工夫が感じられたけど、小沢仁志の『殺し屋&嘘つき娘』にはそれがない。そもそも、なぜ小沢仁志は今回自分で監督・脚本にまで手を出したんだろう。室賀監督と組んで、『SCORE』を再現できなかった理由が気になります。ふたりのコンビで、もう1本映画が観たかったのになぁ。

 小沢仁志が演ずる一匹狼の殺し屋ジョーカーが、ビビアン・スー演ずる麗華という少女を連れて、犯罪組織の追手と戦う物語です。ジョーカーや麗華のキャラクターが書き込み不足で、人間的な厚みが感じられないのが最大の欠点。主人公たちに魅力があれば、他がどんなに御都合主義であろうと、物語が出鱈目であろうと、たいがいは許せるものです。でもこの映画のジョーカーや麗華に、物語の弱さを上回る魅力は見つけられない。途中から現われる調子のいいタクシー運転手サル(山下真広)のキャラクターもいい加減だし、このシナリオにはいいところがありません。黒幕である麗華の兄も、「邪魔だから」という理由だけで実の妹を殺すもんですかね。ま、序盤から「いい加減だなぁ」と思っていたので、ここまでくると「あ、そうなの」という感じでしたけど……。

 この映画は、主人公の名前を「ジョーカー」から「チャンス」に変えるだけで、主人公のキャラクターについての説明が全部省けるんだけどな。そうすれば、安ホテルの従業員がテレビで『SCORE』を観ているシーンも生きてくる。小さな工夫で映画なんてどうとでもなるんだから、やれることは全部やってほしい。

 アクション描写には、時折キラリと光るものがないわけではないんだけど、その「キラリ」が持続して「キラキラ」輝き始めることはない。活劇のテンポも、ドンピシャで決まるところがあるかと思えば、ワンテンポずれたり間延びして興をそぐところも多い。このあたりは編集の責任だと思うんですが、なんとこの映画の編集には、鵜飼邦彦と連名で小沢仁志がクレジットされている。これじゃ徹頭徹尾、小沢仁志の個人映画ではないか。


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