マザー、サン

1997/06/18 松竹第二試写室
とにかく退屈な映画だけど、これを有りがたがる人もいるのだろう。
母と息子の愛情と別れを描くソクーロフの新作。by K. Hattori



 アレクサンドル・ソクーロフ監督の最新作。上映時間は73分と短いのだが、これが試写室でなかったら僕は途中で退出していただろう。僕はこの監督の映画を初めて観たのですが、ソクーロフの映画っていつもこうなんですかね。だとしたら、僕はもう二度とこの監督の映画を観たくない。この監督の映画を好む人がいるであろうことも理解できるけど、この監督が表現しようとしているものは、少なくとも僕が映画に対して求めているものとは別のものだ。プレス資料によれば、この映画が出品された今年のベルリン映画祭では、『その重厚な映像に耐えられず上映会場を出て行く者、これこそがソクーロフの至上のメッセイジだと絶賛を送る者』とで『はっきりと二分された評価が、ベルリンのジャーナリズムを賑わした』のだそうだ。会場を出た人は別に『重厚な映像に耐えられず』に映画を拒否したんじゃないと思うけどなぁ。たぶんその人たちも僕と同じで、「これは俺が求めている映画じゃない」と思ったんですよ。

 もっとも観客に「これは違うなぁ……」と思わせる映画なんてモノは年に何本も何十本もあるわけですから、観客を上映会場から追い出してしまうまでに至る映画の力というものは、やはりただ者ではないのかもしれない。とにかく僕はここ何年かに観た映画の中で、これほど観ている間の時間が長く感じられた映画はないです。最後の方は時計をちらちら見て「あと何分で終るか」ということばかり気にしていた。それにしても、狭苦しい松竹の第二試写室に、ほぼぎっしり人が入っていたのはなぜなんでしょうね。僕は人数だけ見て「これは面白いのかしら」と思ったんですけど、映画がはじまって10分もしない内に、居心地悪そうにモソモソ身体を動かしている人が半分ぐらいはいたぞ。後にその内さらに半分は寝てしまいましたが……。

 老いて身体の弱った母親と、母親を看取る息子の物語です。息子は母親に優しい態度と言葉で接しながら、そのじつすべてが疎ましくて仕方がない。でも二人は強く強く愛し合っている。それは間違いない。映画に登場する人物は、正真正銘この二人だけ。他の人物は画面に一切登場しない。近くを通る子供たちの声が聞こえるなど、この二人以外にも人がいることはわかるようになっていることが、一層この二人だけの世界の閉塞感を強調します。終盤で、息子は母親を置いたまま、一本道をどこまでもどこまでも走って行く。ここで映画に少し動きが出るのですが、それまでは長回しのカットの中で、人物がじっと動かないままという退屈な場面が続きます。

 これだけのエピソードなら、普通のドラマ仕立てにして5分で終ってしまう話です。でもこの監督が作ろうとしたのは、物語じゃなくて絵なんでしょうね。レンズを使って、画面を曲げたり伸ばしたり歪ませたりしているのがその証拠でしょう。でも僕には、そうした手法が新しいとも面白いとも美しいとも思えないのです。少なくとも、それだけで70分は持たないと思います。


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