太陽に抱かれて

1997/06/11 シネマ・カリテ2
マリサ・トメイ扮するドディ・ペレスのことがどうしても好きになれない。
これは明らかにミスキャストだと思うけどなぁ……。by K. Hattori



 キューバの刑務所からアメリカに渡った政治難民については、デ・パルマが『スカーフェイス』という映画を作っている。キューバからアメリカに渡った「政治犯」の多くは、地元のヤクザであり、泥棒であり、売春婦であり、同性愛者だった。キューバはそれらに「政治犯」という名をつけることで、国内から厄介ものを一掃したのです。善良で人畜無害なキューバ人たちを主人公にしたこの映画だけ観ていると、アメリカ人がなぜ移民の大量流入に嫌な顔をしているのか、地域の住民が犯罪増を心配して神経質になるのかがわかりにくいかもしれない。もちろんアメリカ人ならこうした前提は説明不要なものなんでしょうが、日本人には難民受け入れの実績も実感もないので、映画で学ぶしかありません。もっともあと何年かすれば、日本にも近隣国から大量の難民が押し寄せてくるでしょうけどね。

 それを踏まえた上でこの映画を観ると、『スカーフェイス』ではばっさりと割愛されてしまったアメリカ移民行政のディテールが描かれていて、それなりに面白い映画かもしれない。『ゴッドファーザー』の2作目だったと思いますが、今世紀初頭のアメリカに、イタリア移民の少年が上陸するエピソードが描かれてましたよね。この映画の前半は、主人公たちのアメリカ上陸から、スタジアムでのテント暮らし、後見人探しなど、彼らがどうやってアメリカ社会の中に着地するかをていねいに描いていて、どれも興味深く見ることができました。

 ただし、そうした「描写」を取り去ってしまうと、この映画のどこが面白いんだか、僕にはぜんぜんわからない。マリサ・トメイ演じるドティという女性を、僕は最後まで好きになることができなかったし、正真正銘の政治犯だったフアンの家族にたいする思いも伝わってこない。20年前から夫フアンの帰りを待ちつづけている妻カルメラの気持ちが、なぜ簡単にFBIの捜査官の側になびいていってしまうものなのか。物語や個々のエピソードが頭では理解できるんですが、それぞれが胸の中にストンと落ちてこないのは困る。「はいはい、これはこういう意味ですね」といちいちこちらから解釈してあげながらでないと、物語が先に進んで行かないのだ。

 マイアミで家具商を営んでいるファンの義弟が、ファンを偽者だと決めつけて追っ払うシーンがあります。この一連の場面も釈然としない。義弟は本当にファンを偽者だと思っていたのか、それとも本物だと知りつつ生活を変えられるのが嫌で偽者扱いしたのか。多分最初は偽者だと思っていたものが、途中で本物だと気がついたのだと思いますが、映画の中には彼が「これは本物の義兄だ」と気付く瞬間が描かれていない。困ったものだ。

 リアルな描写の中に、突然ファンタジックな心象描写が入るのにも戸惑いました。フアンが妻の姿を遠くから眺めていると、白いシャツの胸元に赤い血が染み出してくる。最初は鼻血でも出したのかと思ったのですが、これは「心が傷ついた」ことを示す描写なんですね。


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