岸和田少年愚連隊
血煙り純情篇

1997/05/03 有楽町朝日ホール
(日映協フィルムフェスティバル'97)
よくできた青春映画なのだが、やはり前作と比べると見劣りする。
終盤のエピソードにも違和感を感じた。by K. Hattori



 井筒監督の撮った快作『岸和田少年愚連隊』の続編だが、スタッフとキャストは総入れ替え。青春映画としては水準のできだと思うのだが、痛快無比の前作と比べるとやはり見劣りがするのはやむを得ない。原作は中場利一の同名小説。前作でチュンバと呼ばれていた主人公がなぜリイチに変わったのかは謎だが、呼び名が変わったことで作品全体のテイストもずいぶん変わった。名前を変えたのは、前作との決別を意味しているのかもしれない。前作はチュンバと小鉄の悪ガキぶりが中心だったが、今回小鉄は脇に回り、リイチとリョーコの別離、悪ガキ仲間だったユウジとの友情がつづられて行く。

 主人公たちの高校卒業を振り出しに、全体は二部構成になっている。前半は主としてリョーコの視点から、後半は主としてリイチの視点からの物語になっているのが、この映画の工夫だろうか。前作と縁を切った映画にこんな言い方をしても意味がないのだが、やはり強引に時系列で物語を押し通した前作の勢いに比べると、この二部構成はスピード感に欠ける。役者たちが役の実年齢に近い分、エピソードのひとつひとつは生々しいものになっているのだが、ケンカの場面も生々しくなって、なんだか見ていて痛々しい。「こいつら無茶しよるなぁ」と笑って済ませなくなってくる。

 前作で印象的な敵役だったサダが再登場。(役者は変わった。)今回もなかなか色気のある役どころなのだが、物語の中心が「ケンカに明け暮れる日常」から離れてしまったため、存在感は薄い。ケンカがらみのエピソードでは、リイチの兄貴分として原作者の中場利一がゲスト出演し、モノホンの迫力を見せているのが印象的だった。この怪物ぶりは、前作のカオルチャンに匹敵する。

 子供から大人に変わろうとする少年たちの姿を、正面から描いた秀作だと思う。リイチとリョーコの別れは切ないし、再会のほろ苦さも身につまされる。リョーコが思い出の写真を捨てられず、ごみ捨て場でうずくまってしまう場面など、見ていてホロリときた。大人にならなきゃ、大人にならなきゃって思っていても、どうやって大人になればいいのかわからない少年たちの焦りや不安。そんな少年たちに惚れてしまった、少女たちの揺れ動く気持ちが、痛いほど伝わってくるのです。特にユウジとマサエの恋模様は、じつにていねいによく描けていた。

 全体としてはよくできた映画だと思うのだけれど、釈然としない点がふたつある。ひとつは小学生のユウジが分度器を持って町をさまようエピソードの美術デザイン。このくだりだけ、やっぱり映画全体から浮いている。もうひとつも、やはりユウジ関係。映画が後半に入った瞬間から観客に提示されているユウジの死を、次々先に送って行くのが正解だったとは思えない。彼が死んだ時は「ようやく死んだか」「いや、まだ生きているのでは」と思ってしまいました。この場面はもっとシリアスに演出すべきだったと思う。半分ギャグみたいな描き方では、最後の感動も半分だまされたような気分になります。


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