デビル

1997/04/20 日本劇場
脚本は悪くないのに配役と演出がそれを駄目にしている。
ブラッド・ピットはテロリストの顔をしていない。by K. Hattori



 中盤までは話の面白さに引かれて観ていられるが、終盤のクライマックスは人物描写の甘さがたたって腰砕け。脚本はテーマも明快で筋運びも悪くないのに、出来上がった映画がこれではもったいなさすぎる。最大の難点はブラッド・ピット演じるIRAのテロリスト、フランキー・マグワイアの描き方にメリハリがなかったことでしょう。彼はどう見ても人当りのいい好青年で、目的のためには手段をえらばぬ冷酷なテロリストには見えない。彼が要所要所でテロリストとしての非情な素顔をさらしてくれないことには、最後のハリソン・フォードとの対決が手に汗握るスリルを生み出さないのにね。

 紛争の中で生まれ育ち、自らも手を血で汚してきたフランキー・マグワイアと、ニューヨークの警官として20年以上勤務し、家庭との平和な暮らしに安息を見いだしているトム・オミーラ。同じアイルランドの血を引きながら、対称的な生き方をしてきた二人が、はからずも同じ屋根の下で生活を共にし心を通わせて行く。共通の文化的背景を持ち、宗教も生活スタイルも似通った二人が、生まれ落ちた土地の違いから、ひとりはテロリスト、ひとりは警官として生きねばならない宿命。

 フランキーとトムは、アイルランドの悲劇が持つ二つの局面の象徴です。二人の対決は個人対個人のぶつかり合いでありながら、共に視線は遠く海の向こうのアイルランドを向いているはずなんです。アイルランド移民の血を引くトムは、フランキーを通して自らのルーツを見る。紛争の中で育ったフランキーは、トムを通じて平和な暮らしの中の安らぎを見る。こうした奇妙な交流が、映画の中では上手く処理されていませんでした。地下室でトムとフランキーが対峙する場面の白けっぷりは、物語を「テロリストと警官」という枠の中でしか考えられない演出家の無能ぶりを明らかにしている。この場面以降、映画は面白味を失って急速に色褪せて行きます。

 フランキーの正体がばれてIRAのテロリストとしての本性があらわになってしまう様子を、ブラッド・ピットが演じ切れていないような気がします。警官を躊躇なく射殺する場面や、武器商人との対決など、フランキーがいざとなったら血も涙もない人殺しになれることを示す場面なのですが、どうも描写が甘ったるくていけない。フランキーは必要以上に血を好む性格ではないけれど、必要とあらば人を殺すことも厭わない。相手が世話になったトムであっても、ためらわずに殺すでしょう。フランキーが路上でトムに銃を向ける場面で、そうした彼の本性をしっかりと印象づけておかないから、最後の二人の対決が馴れ合いみたいに見えてしまうんです。

 悪いのはブラッド・ピットだけじゃない。ハリソン・フォードだってアイルランド系に見えないし、周囲の人物の描き方も中途半端です。黒幕である判事の人物像はもう少し掘り下げが必要だったと思うし、判事の家にいるメーガンという若い女性のエピソードももう少し増やしてくれないと困る。あれじゃ添え物以下です。


ホームページ
ホームページへ