現金に手を出すな

1997/03/13 ACT-SEIGEI THEATER
1954年製作の古典的なギャング映画。「現金」は「げんなま」と読みます。
主演のジャン・ギャバンが初老のギャングを好演。by K. Hattori



 ジャン・ギャバン主演の古典的なギャング映画。今観ると演出にメリハリが欠けるようにも感じるんですが、これはきっとハリウッド製のギャング映画を見慣れすぎているせいでしょうね。この映画の古典性は、この映画に登場するいろいろな場面が、後のギャング映画に引用されていることからも立証できます。例えばギャバンがマシンガンを腰だめに連射しながら、逃げて行く殺し屋を撃ち殺す場面は、コーエン兄弟の『ミラーズ・クロッシング』で引用されてます。ギャバンの隠れ家の、機能的だが生活臭のないうす寒さは、『ヒート』のデ・ニーロの家にも通じるものでしょう。

 主人公や仲間のギャングが皆年配で、敵対するギャングは一世代下の若手連中。物語が世代間の争いになっていて、しかも観客がみな嫌でもジイサン連中を応援したくなってしまうところが面白い。それまで物静かに見えたナイトクラブ経営者が、若いギャング相手に猛然と腕力を振るう様子や、その様子を冷静な目で見つめている彼の妻など、普段は紳士面していても、根がやくざな連中だということがよくわかる場面です。僕はこの場面でちょっとゾッとしてしまいました。それでも、若いギャングたちの卑劣なやり口にギャバンのマシンガンが火を噴くと、思わず拍手喝采してしまいたくなります。

 ギャバンの歳のとり方が、じつにかっこよく決まっていて惚れ惚れします。仲間や目下の者思いだし、周囲からの信頼も厚い、女にはもてる、気前がいい。しかし彼は自分の家族を持たないことで、そうした地位を守っているわけです。尾行を撒いたギャバンが相棒と二人、隠れ家でもそもそラスクとワインの食事をする場面のわびしさ。相棒はそうした生活を守れず、若い女との生活を夢見たばかりに命を縮めてしまう。

 ちなみにこの隠れ家の場面は、いくつかすごく気になる描写がありました。第一はラスクにつけてたバターの量のものすごさ。二人で小さなラスクを数枚食べるだけなのに、バターを子供の握りこぶしぐらいずつ皿に出してました。あれじゃラスクを食べてるんだか、バターを食べているんだかわからない。第二に、冷蔵庫の中にきれいに並べてあったシャンパンの小瓶が気になる。ビールが並んでいるより洒落ているから、そのうち機会があったら真似してみたいもんです。たぶん、この映画が公開された当時、真似した人も多いでしょう。

 物語の山場は、暗闇の一本道で人質と金塊を交換する場面でしょう。人質交換の静かな緊張感と、殺し屋の車が道の向こうから現れて以降のダイナミックなスピード感の対比。殺し屋を撃退し、反撃に転じた主人公たちの追跡劇も迫力があります。

 最後の方に、電話をかけるジャン・ギャバンが、胸のポケットから老眼鏡を取り出す場面があります。それまでのタフガイぶりと老眼鏡のコントラストが、すべてを失った初老のギャングの荒涼とした心持ちを強調してます。ギャングは根無し草のまま人生を終えるのです。


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