義務と演技

1997/03/12 シャンゼリゼ
結婚生活の描写にリアリティーがないから不倫にもリアリティーがない。
谷啓扮するバーテンダーの台詞に結婚の真実を見る。by K. Hattori



 共に家庭を持つ男女が不倫の関係になり、別れてそれぞれの新しい人生を歩み出すまでを描いた物語。原作はテレビドラマにもなったらしいが、僕はそちらを未見。ありきたりの物語といえばそれまでだが、映画では夫婦のセックスの問題がかなり重要なモチーフになっており、こうしてあからさまに夫婦の性の問題が題材になるところに多少の目新しさがあるのかもしれない。

 浮気や不倫は結婚生活という日常性からの逸脱行為です。そこに縁のない人にとっては一種のファンタジーでしょう。そもそもそこにリアリティーはないのです。ただし、日常生活の描写をきちんと描き込んで行くことで、その反対側にある逸脱にある種のリアリズムを生み出すことは出来るはず。この映画も物語(脚本)の部分では日常をリアルに描き、不倫の様子をファンタジーとして描いています。こうした狙いは悪くないでしょう。

 ただし、映画は脚本だけではなく、配役や演出も含めた総合評価です。僕はこの映画の中で描かれた夫婦生活に、何のリアリティーも見出すことが出来なかった。端的に言ってしまえば、そこには生活感がないのです。生活の中にある汚れの部分や、日常の些末なうっとうしさのようなものが、この映画の中にはまったく描かれていない。この映画に登場する二軒の家からは、生活の臭いがしない。どちらもモデルルームのように清潔で、インテリアも家具屋のディスプレイのように整然としている。ここで描かれる家庭そのものに生々しさがないのに、どうしてそこからの逸脱行為に本物らしさが出るんだろう。

 物語の中心になるのは舘ひろしと高島礼子の夫婦で、舘の浮気相手である清水美砂とその夫・杉本哲太のエピソードの比重は軽くなっている。日常生活のリアリズムということでは、主婦・高島礼子の役目が大きいのですが、僕は彼女から生活の匂いを嗅ぐことが出来ませんでした。どうもフワフワしてつかみ所のない役柄なんですが、これは高島礼子という女優が役柄をつかみきれていないからだと思います。彼女はこの物語に登場する人物たちの中では、最も強靭な神経の持ち主ですよね。この役柄に観客が共感できれば、この映画はもっともっと面白くなったはずなんですが、高島の芝居には力強さが欠けていて、観客の感情移入を受け止められないのです。

 主演の舘ひろしは、思ったより役にはまっていましたた。『免許がない!』や『大失恋』で、無理に従来の自分のイメージと落差を作って卑屈な笑いをとろうとしていた印象が強かったので、今度もまた目も当てられないのではと少し危惧していたのです。今回はそうした無理した部分がなくなり、自分と等身大の役を演じている感じがします。清水美砂とホテルの部屋で別れるときの、ちょっと寂しそうな目つきなどもよい。

 『ビリケン』で神様を演じていた杉本哲太も、今回はなかなか人間臭い役をうまく演じてました。じつはこの映画で一番印象深いのは彼なんです。情けない役なんですが、たぶん世のすべての男は彼に同情するでしょう。


ホームページ
ホームページへ