ザ・ファン

1997/03/09 早稲田松竹
野球のスター選手が熱狂的なファンに付けねらわれるストーカーもの。
デ・ニーロが最初っから熱狂的すぎて興醒めする。by K. Hattori



 トニー・スコットは『クリムゾン・タイド』で腕を上げたと思っていたのに、これではまた『ラスト・ボーイスカウト』の頃に逆戻りじゃないか。構成力のない大雑把な演出に、なんだかガックリきてしまったよ。

 何よりまずいのは、犯人役のロバート・デ・ニーロが最初から恐いということ。彼は私生活のごたごたや仕事の失敗などで、精神的に不安定な状態に追い込まれている。しかし、それはまだ狂気ではないはずなんだ。映画に登場した時の彼は、仕事に誠実なよきセールスマンだし、離婚して離れて暮らしているものの、子供思いのいい父親だ。そして同時に、彼は野球も愛している。気をつけなきゃならないのは、彼が最初から野球しか愛せないいびつな人間ではない、という事実です。でないと、開幕戦の試合を放り出して、デ・ニーロが車をぶっ飛ばす行動が理解できなくなってしまう。

 開幕戦のエピソードは、彼が抱え込んだ、野球・息子・仕事のすべてがぶつかり合っている場面です。彼はこの時点で、最後に仕事を選びます。子供と野球に後ろ髪引かれながらも、彼は仕事先めがけてまっしぐらに車を飛ばす。でもそれがちょっと遅かった。二兎を求めて一兎も選られないのが人間なのに、彼は野球・息子・仕事の三兎を求めて、息子と仕事を失います。野球が大好きな子煩悩のセールスマンから、仕事と息子を取り上げたら、残ったのは野球だけだったのです。だから彼は、残された野球にのめり込んで行くのです。

 このあたりは、もっとシンプルに描けたはずです。デ・ニーロが勤めているナイフメーカーの創業者の息子だなんてエピソードは不要だし、顧客からクレームがついて云々というエピソードも必要ない。デ・ニーロは『恋に落ちて』の建築家のように画面に登場し、『ケープ・フィア』の犯人役へと変貌してくれればよかった。善良なアメリカ人が、徐々に狂気に落ちて行くありさまを、つぶさに見せることができたはずなんです。

 デ・ニーロと対決するのがウェズリー・スナイプスでは、観客の目がデ・ニーロの方に向くのが当然です。この映画の主人公は、デ・ニーロでしょう。年俸4千万ドルのスーパースターと、離婚して子供を取り上げられたセールスマンでは、観客の同情の目がどちらに向くかもわかりきったようなものです。だったら、最初に登場するデ・ニーロは、観客にとってもっと身近な人物でなきゃならない。それなのに、この映画のデ・ニーロは最初っから恐いんです、異常なんです、狂ってるんです。これじゃ観客は映画に入り込めません。大失敗です。

 『ラストマン・スタンディング』や『身代金』で、ハリウッドは再び三度黒澤に注目しているようですが、この映画の脚本もちょっと黒澤明風ですね。同じ野球選手出身の二人が、ひとりはスーパースター、ひとりは人生の敗残者として向かい合う。海辺での邂逅、野球場での対決など、これまた『天国と地獄』風の構成なんだよね。やっぱり黒澤作品は映画の教科書です。


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