昨日消えた男

1997/03/01 文芸坐2
長谷川一夫が遠山の金さんを演じた昭和16年の東宝映画。
マキノ正博監督はこれを9日で撮り上げた。by K. Hattori



 長谷川一夫主演の「遠山の金さん」もの。監督は活動屋マキノ正博。太平洋戦争勃発直前、昭和16年の正月映画です。長屋で起こった大家殺しを、文吉こと遠山金四郎の名推理で解決する物語。主演の長谷川一夫とヒロインの山田五十鈴はともかくとして、残る登場人物は全員が怪しいという本格推理映画。手がかりや証言をひとつひとつ検証して事件の核心に迫ってゆく過程はなかなか見せるが、最後の最後に全員を並べて「犯人はお前だ!」とやるスタイルは、いかにも昔の探偵物ですね。

 真犯人が意外なところにいるのはよしとしても、それまでの複線がほとんどないから、これはちょっと反則という気がしないでもない。導入部から中盤にかけては今観ても結構新鮮なんですが、終盤は今ならもっと別の撮り方をするでしょうね。マキノ監督は戦後に同じ映画を何度かリメイクしているそうですから、そちらと比較してみたい気もします。まぁ見所は長谷川一夫であり、山田五十鈴であり、高峰秀子であるわけで、物語なんて二の次三の次ではあるんですけどね。

 この映画の製作については、マキノ監督の自伝「映画渡世」に裏話が書いてあります。もともと正月映画として予定されていたのは、長谷川と古川ロッパの『家光と彦左』だったのですが、古川の急病で急遽代案として作られたのがこの映画です。撮影のためにスケジュールを組んでいた役者やスタッフたちがそのままこの映画に参加しているためか、出演者の中にはロッパ劇団の役者が目立ちます。暮れも押し迫る中、脚本の小國英雄は海外のミステリー小説をヒントにシナリオを短期間で書き上げ、マキノ監督は得意の早撮りテクニックを駆使し、わずか9日間でこの映画を撮り終えたそうです。

 長谷川一夫はこの映画撮影の3年前、移籍問題のこじれが原因で暴漢に顔を切られています。マキノ監督の本によれば『彼はこの事件を肝に銘じて忘れぬように、あえて顔の傷を整形しようとしたりしなかったらしい』とのことですが、『昨日消えた男』をどんなに目を凝らしてみても、顔に傷らしいものはほとんど見えません。「映画渡世」の中にも、長谷川の顔の傷をできるだけ目立たせまいと苦労した話が出てきますが、それは見事に成功したようです。照明やメイクの問題もありますが、顔の傷のある面をなるべく見せないような絵のつなぎになってるんでしょうね。こうした役者に対する思いやりがあればこそ、マキノ監督は役者やスタッフに慕われて、あれだけたくさんの映画を作ることができたのでしょう。

 日本が中国で戦争をしている真っ最中の映画です。撮影から1年もたたずに、日本はアメリカに戦争を吹っかけます。そんな暗い時代の映画であるにもかかわらず、この映画はじつにのびのびとしている、ユーモアがある、暖かみがある、役者たちの和気が感じられる。世の中が息苦しく暗い時代だったからこそ、映画を観る観客も、映画を作る役者やスタッフたちも、明るい作品を求めていたのかもしれませんね。


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