裸足のピクニック

1997/02/09 シネマ・カリテ3
どんどん不幸になって行く主人公の姿を見ながらつい笑ってしまう。
全編に渡り不幸と不運が総出演するカタログ映画。by K. Hattori



 新作『ひみつの花園』の公開を間近に控える、矢口史靖の長編映画デビュー作。92年の作品だから、もう5年も前の映画なんですね。重要な脇役に『愛の新世界』で売り出した鈴木砂羽が顔を出してますが、どうりで初々しいツルツルの顔をしてます。

 目立たないごく普通の女子高生が、小さな事件をきっかけにどんどん転落し、不幸になって行く様子が淡々と描かれています。最初のうちは主人公に同情していたんですが、途中からその余りの不幸ぶりに口アングリ。こうなったらもう笑うしかない。「ここまで不幸になったら、もう次ぎはあるまい」と思っていると、さらに次々底が抜けて、不幸の奥行きは深いのだと実感できます。

 ひとつひとつの出来事そのものは、荒唐無稽というわけではないんです。きっかけは、電車の中でキセル乗車をとがめられたことだし、駅の事務所から逃げる時、鞄の中身をぶちまけてしまったことも痛かった。その日に限って、鞄の中にはボーイフレンドと撮ったちょっと人目をはばかるような写真が入っていたのも、間が悪いといえば悪すぎる。このあたりまでは僕も、「あ、気の毒だなぁ」と本気で同情しましたもん。

 このあと次から次へと筆舌しがたい不幸が主人公を襲い、それがきっかけになって主人公の一家は離散。この後主人公がひとりで立ち直って行くのかと思わせておいて、さらに奈落の底に突き落とすのは見事ですなぁ。(パチパチ。)この映画では、主人公の不幸がちゃんと芸になっているところが偉いね。どんなに悲惨な状況に追い込まれても、陰惨な感じがしないのがいい。エピソードのひとつひとつにユーモアがあるから、観客は笑いに逃げられるんです。

 ただ、最後のオチはちょっと辛いなぁ。僕は主人公が不幸のどん底から這い上がって日常に復帰することはあるまいと途中であきらめましたが、それでも極限の不幸の先に突き抜けると、そこには何か新しい境遇が広がっているのかと期待してました。映画ではそれまでの一直線の物語進行から降りて、最後の最後に脇道に引っ込ませてしまった感じです。このあたりが限界なのかな。

 この映画ですごいと思ったのは、日本映画には珍しく、死体を使ったギャグが登場することです。遺骨を紛失してしまうくだりも、笑いと涙なくしてはみられない、思わず目が点になってしまう名場面。思いつめた主人公が遺骨強奪を謀って、見ず知らずの家の葬式に紛れ込むあたりは、目が点どころか息が止まりました。ずいぶんと思い切ったことをやるよねぇ。通夜の祭壇から火が回ってボヤ騒ぎになるあたりも、ヒーヒーひきつった笑い声を立ててました。すげ〜よなぁ。

 最後の最後まで、主人公は徹底して不幸なまま、という割り切りもいい。途中で自分の身を諦観したり、へんな悟りを開いたりしないから、彼女の身に次にどんな不幸が訪れるか、わくわくしながら待っていることができる。気分はほとんどSMである。


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