グリマーマン

1997/02/02 松竹セントラル1
スティーブン・セガール主演の日替わり定食的マンネリ映画。
目先のメニューは変わっても本質は不変だ。by K. Hattori



 スティーブン・セガール主演のアクション映画。キリストの磔刑をモチーフにした連続猟奇殺人が起こるという導入部は、明らかに『セブン』の影響ですね。ただし、この映画はアクション映画であって、サイコホラーではない。猟奇殺人の方は、映画の味付けにすぎません。

 この映画のセガールは例によって特殊部隊出身の刑事役。他の刑事たちがさじを投げる難事件を前に、持ち前の観察眼と推理力とコネクションと腕力で、ブルドーザーのように前に進んでゆく。謎解きの面白さはゼロ。観客が「なるほど」と納得する前に、セガールはもう次の行動に移っている。もっともこの程度のプロットでは、観客に細部を理解させる隙を与えない方が正解。注意して見なくても、これはかなり苦しい脚本だぞ。エピソードのつなぎも弱いし、主人公が窮地に陥る描写も説得力がない。それでも物語が先に進んでゆくのは、お馴染みのアクションシーンが見られる安心感ゆえでしょう。

 セガールの相棒になる黒人刑事に、あまり魅力がないのもこの映画の欠点。ありがちな金持ち風の黒人刑事なんだけど、彼の人となりや性格を説明する場面はなし。ただし行動の端々から彼が「いい人」であることが、必要最低限観客に伝わる。漢方の精力剤や、『カサブランカ』を観て涙ぐむ場面などは、ステレオタイプな描写だけれど面白い。『カサブランカ』の台詞をそらんじ、映画館で大粒の涙を流しながらスクリーンを食い入るように見つめる様子は、なんだか『ニュー・シネマ・パラダイス』みたいだね。こういう映画好きの人物を見ると、たとえ他の部分がどんなに弱くても、僕はこの人物を愛さずにいられない。彼の映画好きは物語の流れの中で、ぜんぜん生かされていないんだけどね。これもまた、映画の味付けにすぎないんだよなぁ。

 この映画では、伏線にしようと思えばいくらでもそれが可能な数々のアイディアが、単なる表面上の味付けだけで終っている例がとても多い。セガールの謎の過去や、仏教徒という設定なども、映画の中では効果的に生かされていない。『沈黙の戦艦』シリーズで、コックという職業や、キッチンという舞台が効果的に生かされているのとは好対照です。こんなことなら、セガールの首に数珠をぶら下げる必要なんてない。彼は黙って、ロス市警のベテラン刑事をやっていてもいいはずなんだけど……。

 物語の根幹に関わる問題だけど、セガールが黒人刑事の相棒をつける理由が希薄だ。この映画は二人が反目と和解を繰り返して信頼で結ばれてゆくという、最低限のバディムービーにさえなっていない。こうなると相棒刑事の存在そのものが、この映画では味付けにすぎなかったのだということがよくわかる。

 宣伝コピーには「セガール・アクションの原点。」という文字が踊っている。原点とはよく言った。この映画は「いつものセガール映画」以外の何物でもない。けなしているわけではない。下手に大作ぶらないだけ、『沈黙の要塞』よりは何倍もシンプルで面白い映画だ。


ホームページ
ホームページへ