マイ・ルーム

1997/01/30 九段会館
(松竹Webクラブ試写会)
スター俳優ばかりが出演する豪華さなのにすごく地味な映画。
物語がいつまでたっても動きはじめない。by K. Hattori



 出演している俳優は豪華だけど、それだけの映画。地味な物語を役者でカバーしようとして、かえって地味さを際立たせることになってしまった。物語の中心が見えず、ドラマに生き生きとしたところがない。動きはじめたと思った物語は途中で失速し、延々助走だけを続けて遂に離陸することはない。

 この映画の中でちゃんと芝居が成立していたのは、寝たきり老人マーヴィンを演じたヒューム・クローニンと、昼メロ中毒の叔母ルーシーを演じたグウェン・バードンの二人だけ。バードンは往年のミュージカルスターですが、僕の大好きな『くたばれ!ヤンキース』の頃の面影はまったくありません。年月は残酷なもんです。彼女も『コクーン』の頃は、まだ往年の姿がオーバーラップしたもんですけどねぇ。いまだ元気で活躍しているのは嬉しいけど、一方でちょっと悲しい。ちなみに彼女は『コクーン』と『コクーン2』でも、ヒューム・クローニンと共演してるんですね。

 物語は20年ぶりに再会した姉妹を中心に、家族それぞれの愛憎を描いたホームドラマです。ダイアン・キートン演じる姉と、メリル・ストリープ演じる妹の和解に加え、ストリープとレオナルド・ディカプリオ演ずる息子の和解がそれぞれ描かれている。物語を進める要素として、ダイアン・キートンの白血病と、近親者からの骨髄移植の適合検査がからむ。話としてはそんなに難しいものではないと思うし、普通に演出すれば、よくある難病物のありがちな感動作になりそうなもんです。

 ところが、この映画は何を照れているんだか、病気の恐怖やそれを乗り越えようとする家族の絆をやけに淡々と描いてしまう。確かにこの物語において、病気はひとつのきっかけにすぎず、描かれているのは老人介護の問題であったり、母と子の問題であったり、姉と妹の話であったりするわけだけれど、それはあくまでも周辺のエピソードとして処理すべきだったのではないか。家に火をつけるディカプリオという衝撃的なオープニングを用意した割に、ストリープとディカプリオのエピソードも十分に掘り下げられているとは思えない。結局、全部が中途半端なのだ。中心になるエピソードを見つけられないまま、物語は求心力を失ない、各エピソードがばらばらにほぐれて、焦点を失ってしまった印象を受けた。

 デ・ニーロはこの映画の製作者も兼ねてますし、この役はゲスト出演ですよね。その彼が、他の役者を食ってしまうのは困ったものです。逆に言えば、他の役者たちが駄目すぎる。中心になるべきストリープとキートンの芝居がスカスカで味気なく、他の要素に完全に負けている。下手な役者じゃないはずだから、これは演出の問題。

 この映画の原作は舞台作品で、監督のジェリー・ザックスも舞台の人です。戯曲を映画化するにあたって空間的な広がりを持たせようという意欲はわかるけど、役者の動きが舞台のままではドラマの間が持たない。役者同士のぶつかり合いが、この映画には欠けているのです。


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