チンピラ

1997/01/02 シネマ・カリテ1
金子正次の脚本を『Helpless』の青山真治監督が再映画化。
ダンカンと大沢たかおのコンビに存在感がある。by K. Hattori



 『Helpless』の青山真治監督が、かつて川島透が映画化した金子正次の原作を再映画化。昭和59年の川島版は、主演が柴田恭兵とジョニー大倉だったが、青山版は大沢たかおとダンカンの主演。だいぶテイストが違いそうです。と言っても、僕は前作を観てないんですが……。

 やくざとして正式に杯を受けたわけでもなく、かと言って一般人でもない中途半端なチンピラふたりが主人公。彼らの宙ぶらりんな立場が、いかにも今風なんだよね。競馬のノミ屋で上がりが少ないとぼやきつつ、それでも「サラリーマンよりまし」と自分を位置づけているふたり。やくざ組織の端っこで、やくざ社会の出世競争に参加することなく、やくざの吸う甘い汁のおこぼれをすすることに甘んじているふたり。いつまでも続くはずのないぬるま湯のような日常につかりながら、そこから抜け出すこともできず、ただ「このままじゃいけないのかも」という焦燥感にかられているふたり。

 ダンカンがすごくいい。どう見てもやくざには見えないんだけど、どこかで間違ってやくざの世界に片足つっこみ、そのまま抜け出せなくなってしまった気の弱い男。どっちつかずでフラフラしている感じが、ダンカンにすごくあっていて、抜群の存在感を見せている。後輩である大沢に「先輩の女房に手を出すのはよくないだろう」と説教しながら、自分はよりにもよって組長の女房とできてしまう。しかも彼女は妊娠。子供を産みたいという彼女に進退極まり、大沢に詫びを入れに行かせる意気地のなさ。からきし男らしいところがないんだけど、そういう弱さが母性本能をくすぐっちゃうのかなぁ……。

 片岡礼子が大沢の恋人役で登場しますけど、今回の役柄はほんとうに脇役で、物語に深く食い込んできてません。彼女のファンとしては残念ですが、出演場面ではたっぷりと存在感をアピールしてます。これは脚本のせいですからしょうがない。この映画で主人公たち以外の人物に与えれている役割は、物語をとりあえず先に進めることだけです。それ以外の役割はない。

 この話の中で、主人公たちは最初から最後まで成長しない。始めから世間の規格に合わないふたりは、ふたりで行動することではじめて安らぐことができたのです。だからダンカンが去り、大沢ひとりになると、彼はその喪失感に耐えられない。彼がダンカンの行方を追うのは、ダンカンを助けたいからじゃなくて、ひょっとしたら彼自身がダンカンに会いたかったからなんだ。ダンカンは先輩のチンピラとして大沢に何をしてくれたわけでもないけど、大沢は大沢なりに恩義を感じてる。「俺とミッチャンの指を添えて金を返そう」と言った大沢の決意に、彼のダンカンに対する気持ちがあふれてます。

 過去と現在を交差させながら大沢の人物像を掘り下げてゆく後半の構成は、ちょっと戸惑うところもある。全体の構成はもう少しシンプルにした方が、僕にはわかりやすかった。最後の方は「なるほど」と関心はしたが、感動はしなかったなぁ。そこがちょっと残念。


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