警察日記

1996/12/29 並木座
田舎町の小さな警察署を舞台にした昭和30年の日活映画。
時代は移り変わっても泣ける映画は泣ける。by K. Hattori



 昭和30年の日活映画。警官役で登場する三国連太郎が、宍戸錠が、森繁久弥がみんな若い。宍戸錠は整形前なので一瞬だれだかわかりませんが、要は宍戸開を探せばいいのです。宍戸親子はこうして見るとそっくりですなぁ。『赤ひげ』で観客をうならせた二木てるみも子役で登場。このエピソードは泣かせるんだよね。

 タイトルは『警察日記』になっているけど、警官たちは物語の狂言回しでしょう。警官たちの中で生活の様子が描かれていたのは森繁巡査ぐらいで、他の警官は警察署の中での描写がほとんど。むしろスポットライトをあてられているのは、警察のごやっかいになる一般市民たちです。捨て子、身売り、万引き、無銭飲食など、いろんなエピソードが次から次に登場して、そこに市井の人々の喜怒哀楽が垣間見える。

 いろんな場所でたっぷり泣ける仕掛になっている映画なんですが、どこで泣くかでその人の性格がわかる。以下僕の泣いた場所です。まず、二木てるみ関係は全部泣いた。母親に捨てられ、乳飲み子の弟と共に警察に連れてこられた少女はほとんど口をきかないんだけど、泣き出した弟をあやす時だけ口を開く。自分もまだ小さい子供なのに、しっかりお姉さんなんです。弟が旅館に預けられ、自分は森繁に手を引かれて行く場面で、涙を浮かべながら何度も何度も後ろを振り向く。森繁の家に生まれた赤ん坊を可愛がるのも、自分の弟に逢いたい気持ちを紛らわせるためなんです。クライマックスで、夜道をたったひとり旅館に走った少女が、旅館の部屋に通されて弟と抱き合う場面は大泣き。この後、母親が遠目に子どもたちの姿を見る場面は、あまり泣けなかったなぁ。

 もうひとつ泣いたのは、亭主が失踪して生活に困った千石規子が、思い余って万引きをするエピソード。店のおやじが子供の長靴を風呂敷きにつつんで持ち帰る様子を、子供がじっと見ている場面は胸に応えた。このあと、彼女は無銭飲食で再び警察に連れてこられる。払う金が最初からないとわかっていて、それでも子供に何か食べさせたいと考えた母親の気持ちを考えると、思わず涙が出そうになる。子供はカレーライスとラムネがうまかったと言ってにっこり。「お前は何か食べたのか」と問われた母親は答えず、別の警官が「それが、自分は何もとらずにお茶だけ飲んでいたそうです」と答えたところで、涙ボロボロ。でもこの後、警察の留置場で一家が再会するところは、あまり泣けないんだよなぁ。

 40年以上前のこの映画に感動させられてしまうのは、人間の心根や人情に心を打たれるからです。この映画にはどうしようもない貧しさや社会の不合理が描かれていますが、そうした体制や社会システムに怒りを向けるのではなく、そこで暮らしている人々に温かい目を向けていることが、普遍的な感動につながるのだと思う。逆境の中で生きている、ひとりひとりの人間に対する信頼感が、映画の底にはあります。映画のラストにもそれは現れている。汽車はいつも希望に向かって走るものです。


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