鞍馬天狗
角兵衛獅子

1996/12/14 大井武蔵野館
アラカン鞍馬天狗は美空ひばりの杉作より影が薄い。
新味を狙って失敗した昭和26年の松竹作品。by K. Hattori


 幕末の日本を一陣の風のように駆け抜けた、スーパーヒーロー鞍馬天狗。もちろん天狗は異名で、普段は倉田典膳と名乗る浪人姿。しかし年齢生立ち本名などは一切が不明。嵐寛寿郎主演の鞍馬天狗は、戦前戦後を通して40本ほど作られた人気シリーズです。その間に映画はサイレントからトーキーになり、製作会社もかわり、監督がかわり、配役も少しずつ変わっている。でも、主人公を演じる嵐寛寿郎だけはかわらない。

 大佛次郎原作の鞍馬天狗は、嵐寛以外にも何人かの俳優が演じていますが、結局、寛寿郎以上の天狗役者は現れませんでした。寛寿郎には他にも『むっつり右門』という人気シリーズがありますが、本人も鞍馬天狗が一番のお気に入りだったようで、天狗シリーズでない映画にも、天狗の扮装で出演したりしています。ここで鞍馬天狗と嵐寛寿郎はほとんどイコールになっている。もし鞍馬天狗の本名を問われた時、映画ファンは即座に「嵐寛寿郎こそ鞍馬天狗の本名だ」と答えるべきでしょう。

 『角兵衛獅子』は杉作少年と天狗の出会いや新選組との戦いを描く、シリーズ巻頭のエピソード。昭和2年にマキノで作られた『角兵衛獅子』は、天狗シリーズの第1作であると同時に、嵐寛寿郎の主演デビュー作でもある。これはサイレント映画。その後、昭和13年に嵐寛の日活入社にあわせて再映画化。昭和26年に作られたこの松竹版は、なんと3度目の映画化です。

 しかし僕は、美空ひばりが杉作を演じ、山田五十鈴がヒロインを演じたこの映画を、どうも好きになれなかった。この映画で作り手が狙ったことは十分すぎるほどわかる。ここに描かれているのは、傷つき、苦しみ、女に恋する、人間味あふれる天狗です。これが新しい天狗像を生み出そうという工夫であることはわかっても、それが成功しているようにはとても思えない。

 活弁風のナレーションで始まる映画は、往年の鞍馬天狗シリーズを露骨に意識していることが明白。そうした古典回帰意識は、活劇シーンに顕著です。群がる捕り手を蹴散らしながら、鞍馬天狗が走る走る! でもちっともワクワクしないのはなぜだ。大阪城で捕り手に囲まれた天狗が、窮して屋根によじ登った時、僕はハタと気がついた。こうした場面は、たぶんサイレント時代の天狗映画をコピーしたのです。僕はオリジナルを観ていないけど、この映画の剣戟場面には模倣の匂いしかしない。創意工夫して新しい立ち回りを生み出そうという熱気がない。この映画の作り手たちは、活劇をなめている。

 この映画はチャンバラ映画でありながら、作り手の関心はもっと別のところにあった。それは「恋する天狗」を作ることです。完全無敵のヒーローとてやはり人間だ、という所を見せて、それが新しい天狗像だと思っているのです。浅墓な考えです。とんでもない勘違いです。山田五十鈴にデレついている天狗からは、神がかり的な剣術の使い手、国事に奔走する英雄のオーラが消えている。これには幻滅。誰が何と言おうと、これは失敗作です。


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