楽園の瑕

1996/10/27 銀座テアトル西友
『天使の涙』が夜の映画だとすれば『楽園の瑕』は昼の映画。
野心的な映像だが作り手の疲れが観客にも伝わる。by K. Hattori



 香港で上映されたときは映画館が騒然とし、途中で退席する客や野次が絶えなかったという、ヘンな意味での話題作。90年代に入ってブームを迎えた剣戟アクションの末尾を飾る、オールスターキャストの一大チャンバラ映画になるはずが、完成が大幅に遅れたために、公開時には剣戟映画ブームそのものが終っていたという不幸な映画である。出演はレスリー・チャン、レオン・カーファイ、トニー・レオン、ジャッキー・チュン、カリーナ・ラウ、ブリジット・リン、チャーリー・ヤン、マギー・チャン。監督は新作『天使の涙』がロングラン公開中のウォン・カーウァイ。長い撮影がすべて終わった後、監督は編集作業をほったらかして『恋する惑星』の撮影に入ってしまったという。多分、あまりに撮影が大変だったので、出来上がったフィルムの山を見るのも嫌だったのでしょうね。

 僕は香港製のチャンバラ映画が嫌いじゃありません。と言っても『スウォーズマン・二部作』や『ドラゴン・イン』『ワンス・アポン・ア・イン・チャイナ/天地大乱』ぐらいしか観ていませんけどね。スピーディーでダイナミックで、とにかく殺陣の構成が千変万化、サービス満点なんです。そうした胸のすくチャンバラを期待すると、この映画には裏切られること必至。

 立ち回りの組み立ては同じなんですが、ウォン・カーウァイはここで例によってトレードマークのトリック撮影を駆使してしまう。駒伸ばしをかけてブレた映像の中では、剣戟の要である肉体の躍動感は殺されてしまう。そもそも極端にブレたりにじんだりした映像で描かれる活劇は、どちらが誰だか区別がつかず、観客はチャンバラが終るまでどちらが優勢とも劣勢とも、勝ったとも負けたとも判別がつかない。こんな剣戟では、手に汗握る活劇というわけにはいかないだろう。

 監督のウォン・カーウァイは、こうした撮影方法を取ることで、剣戟映画から剣戟の魅力を捨て去ってしまった。それは監督の意図であったのか? そう考える人も多いようだが、僕は狙いだけが先行して空回りに終った、ただの失敗だと考えている。なぜなら同じように駒伸ばししてブラした乱闘場面をウォン・カーウァイは『天使の涙』の中で見せていて、こちらはきちんと活劇のダイナミズムが表現されているからだ。

 物語のとりとめのなさ、わかりにくさも指摘されているが、これは主役であるレスリー・チャンとレオン・カーファイさえ見分けがつけば何とかなる。基本的には、狂言回しであるレスリー・チャンを軸に、複数のエピソードが数珠つなぎになる構成だ。登場人物の愛憎関係が複雑な三角関係の交差になるのだが、これもキャラクターごとに整理すればどうと言うことはない。

 『恋する惑星』や『天使の涙』に比べると、映像的には間延びして退屈な場面も多い。しかし、馬賊が砂丘の向こうから現れる場面や、無数の賊が盲目の剣客に向かって殺到する場面など、すごい迫力で見ごたえがあった。

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