ナッティ・プロフェッサー
クランプ教授の場合

1996/10/18 日比谷映画
特殊メイクでエディ・マーフィがひとり7役するのが見どころだが、
正統派のコメディ映画としてもよくできた傑作。by K. Hattori


 この映画の見どころは、何と言ってもエディ・マーフィが特殊メイクを使ってひとりで幾つもの役を演じきる部分。主人公クランプ教授と薬で痩身した別人格バディ・ラブを演じ分けるのはもちろん、クランプ教授の祖母・両親・兄・テレビのエアロビ教室のインストラクターまで、ひとり7役。アカデミー賞も取ったことのあるリック・ベイカーの特殊メイクで他人に化けるのはある時期以降、彼の持ち芸のひとつになっているわけだけど、この映画の場合メイクの下にエディ・マーフィがすっぽり隠れてしまって、本当に別の俳優が演じているような別人ぶり。エンドタイトルでサービスとして流れるNG集がなければ、エディの芝居だとは信じられないような出来栄えです。映画の中でメイク無しの素のエディが登場する割合は、1割か2割くらいしかないんじゃないかな。

 身長180センチ、体重180キロの巨体を持つクランプ教授が、遺伝子を変化させる特殊な痩せ薬でスマートな伊達男になるというこの映画は、数多くある「ジキル博士とハイド氏」の翻案のひとつです。クランプ教授の別の姿であるバディ・ラブは暴走し、クランプ教授の人格を乗っ取ろうと画策するようになる。物語の系列としては正統派の『ジキル&ハイド』より、パロディ作品『ジキル博士とミス・ハイド』に近いノリ。研究発表の場で大げさな変身が披露されるところなどは瓜ふたつですが、ひょっとしたら双方がこの映画のオリジナルであるジェリー・ルイスの映画に影響されているのかもね。

 オープニングのハムスターを使ったドタバタから既に笑わせてくれるんですが、その後もギャグが下品になる直前で踏みとどまっている感じがして好感が持てます。場面によっては、もう少し踏み込んでも良いのではと思うほど抑制が効いている。(このあたりは加減が難しいところですね。)『ブーメラン』あたりで頂点に達した黒人至上主義的なメッセージを排し、誰もがすんなり見られる普遍的なテーマの物語に仕上がっています。

 前半でクランプ教授の性格や生活、彼のコンプレックスをたっぷりと描いているのがいい。特にクラブでコメディアンに太っていることをネタにしてやり玉に上げられる場面は、見ているこちらまで主人公に同情して泣きたくなってしまうほどだった。この場面があるから、この後のクランプ教授の向こう見ずな行動も納得が行くし、バディ・ラブの羽目を外した行動もコンプレックスの裏返しとして納得の行くものになるのです。バディがクラブでコメディアンに逆襲する場面は痛快でしたが、ここでエディ・マーフィは他人のコンプレックスや痛みを笑う安っぽいギャグに、きっぱりと拒絶の意思表示をしているように見えました。

 ほぼ全編を通じて肥満メイクを貫いたエディ・マーフィの根性に脱帽。クランプ教授はフォームラテックスのお化けではなく、明らかにそこにひとつの人格を持つ肉体として存在していました。『ジキル&ハイド』のジョン・マルコビッチをやすやすと超えた名演技に拍手。


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