二十四の瞳

1996/10/13 並木座
名作はいつまでも名作ではないが、名場面だけは残る。
木下恵介の昭和29年作品。by K. Hattori



 瀬戸内・小豆島の分教場に新卒で赴任してきた主人公の大石先生と、彼女が受け持った小学校一年生の子供たちとの交流を描いた前半が圧倒的に面白く、激動の時代の中で生きる生徒たちの様子を主人公の視点から捉えた後半はつまらない。後半はいかにも駆け足に「反戦児童文学」しているようで、少しも面白さを感じなかった。

 ここに描かれている戦時中の母親像はいかにも木下恵介の映画。自分の子どもたちに死んでほしくないと堂々と口にする高峰秀子の姿は、『喜びも悲しみも幾歳月』にも登場しました。戦時中に木下が撮った『陸軍』で、田中絹代がどうしても口にできなかった言葉を、戦後の高峰秀子はいともやすやすと口にすることができる。それだけに、そこばかりがやけに強調されてしまうのですね。

 正論を正論としてずばずばと口にする大石先生は、校長から「今の時代は正直者が馬鹿を見るんです」とたしなめられる。やれアカだ、反戦思想だ、あれを言ってはいけない、これを教えてはいけないという不自由さに、主人公は耐えられない。彼女はそんな息苦しさに耐えられず、自分の受け持ちの生徒が卒業したのを機に、教師の職を辞してしまう。主人公にとって受け持った12人の生徒が最初で最後の生徒になるのです。

 ある年代の人たちにとっては「涙なくして観られぬ映画」だそうですが、その仕組みがいささかあざとく感じられるのは世代の差というべきでしょう。僕は劇中に繰り返し流れる唱歌に郷愁を感じたりしない。子どもたちの身なりや境遇にも親しみを感じない。福祉制度が行き渡った社会しか知らないから、アルマイトの弁当箱が買えないとか、母親を亡くした乳飲み子が弱って死んでしまうとか、小学校も卒業していない子供が奉公に出されるなど、松江関係のエピソードには取っ掛かりからつまずいてしまった。もはや僕には彼女の境遇が実感としてイメージできないのです。望むと望まざるとに関わらず、僕はやけに豊かな時代に育ってしまったのです。

 それでも、大石先生が修学旅行先の金毘羅宮で偶然奉公に出ている松江と出会うエピソードには泣かされました。松江の苦しい境遇を思ってかける言葉を失ってしまう大石先生。彼女は教え子に何もしてやることができない。言葉少なく立ち去る先生を、松江が追いかける。だが、昔の友人たちに自分の姿を見られたくない松江の足は止まる。彼女は修学旅行の船が去って行くのを、ひとり防波堤沿いの道から見送り、声を上げて泣くのです。

 もうひとつ泣いたのは、小学1年生の生徒たちがそろって大石先生の家を訪ねる場面。歌いながら元気よく出発した子どもたちは、意外に道が遠いのにくたびれて皆がワンワン泣き出し、それでも足は先生の家に向かって止まらない。やがて通りかかったバスの中に見つけた先生の姿。「せんせ〜い」「小石せんせ〜い」。バスを降りた松葉杖の先生に殺到する子どもたち。「どうしたの」「先生に会いたかった」。泣きじゃくりながら抱き合う先生と生徒たちの姿にはただただ涙。


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