ひまわり

1996/10/10 銀座文化劇場
戦争の記憶がなくなったことで往年の名作も色褪せた。
観客はドラマの背景が理解できない。by K. Hattori



 かつては主人公たちの境遇に感情移入した観客がボロボロ大粒の涙をこぼしたであろう映画だが、今観た観客がどれだけ泣けるかは疑問。少なくとも僕は前後不覚になるほど泣くってことはなかった。これは上映されたフィルムが英語版だったのが気になったからとか、そんなことが理由ではないと思う。この映画はある時代の観客にとっての名画であって、現代の観客に訴えかけるには脚本が弱い。映画の主人公たちと同じ時代をくぐり抜けてきた公開当時の観客にとって説明不要だったことが、今の観客には伝わらない。頭では理解できても、それが心に響かないのだ。

 そもそも時間の経過がよくわからない。ロシア戦線で行方不明になった夫を待ち続ける妻が、駅まで帰還兵士を迎えに行ったのが戦後何年目なのか、意を決してロシアまで夫の消息を訪ねに行ったのが何年頃のことなのか。ロシア行きの前に、「スターリンが死んだ」という台詞も出て来るからそれが手がかりになる。世界史の年表を見ると、イタリアの降伏は1943年9月、スターリン死去は1953年3月。スターリン批判が現れたのが1956年、フルシチョフ政権が1958年から64年まで、映画『ひまわり』の製作は1970年。映画公開当時の観客には何の説明もいらなかったことだろうが、現代の観客はこうした歴史的時間の中から、映画の劇中時間を逆算して行く作業が必要になってしまう。

 この映画は、観客の中に残っている戦争の記憶を刺激するのだ。戦場で死んだり行方不明になった兵士たちは多かっただろうし、その家族は世の中にざらにいたはず。第二次大戦では、世界中のどの家でも家族や親戚の中から戦死者や行方不明者を出している。ひょっとしたら敵国で捕虜になったのでは、どこかでひょっこり生きているのでは、戦争で傷ついて記憶でも失っているのかもしれない。そんな思いで家族の帰りを待ち続けた人たちは多かったはずだ。日本にだって岸壁の母がいた。『ひまわり』にも、息子の帰りを待ちわびる母親が登場する。彼女など、イタリア版岸壁の母である。

 映画は主に夫を待つ妻の視線で語られ、夫がなぜソ連から便りの一本も出せなかったのかという部分には全く触れない。もちろん観客はその間にあったスターリン時代を踏まえてこの映画を観ているわけだが、ソ連が解体してしまった現在の観客としては、いささか描写に踏み込みが足りないと思ってしまう。大規模なソ連でのロケーション撮影などもあり、当時のソ連当局に対する遠慮もあったのかもしれない。それにしても、描かれているソ連の豊かな生活には、今となっては隔世の感がある。

 愛し合う男と女を引き裂く戦争や政治という巨大な暴力の理不尽さ。一面のひまわりの下には、暴力と惨劇の記憶が眠っている。しかし映画はそうした大きなテーマに踏み込む一歩手前で、最後は男と女のメロドラマに流されてしまう。現代の観客には、隠された大きなテーマが伝わらない。僕もまた、メロドラマに涙していたのだ。



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