猫が行方不明

1996/09/13 シヤンテ・シネ2
行方不明の猫を探す主人公が出会う、ご近所に広がる小宇宙。
都会の中でご近所づきあいの魅力を再発見。by K. Hattori


 最終日の最終回、劇場は満員の盛況。立ち見はもちろん、通路にまで人が座り込んでいた。観客の8割は女性。映画自体は、配役も無名だし物語も地味。この観客たちは、いったいどこでこうした映画を嗅ぎ付けてくるのだろうか。僕の場合は人をくった予告編でしたけど……。雑誌なんかでも、結構好意的に取り上げられているケースが多いですよね。

 この映画を一言で言ってしまえば、「ご近所づきあい再生ムービー」ってとこでしょうか。舞台はパリの下町。互いに顔ぐらいは知っていても深い付き合いはないご近所同士が、主人公の猫が行方不明になったことをきっかけに活発なコミュニケーションをはじめる。根無し草の都会人が、取り澄ましたよそ行きの顔を捨てて素顔でお近付きになって行く過程が、じつにていねいに描かれています。老朽化するアパート。再開発で追い出される古くからの住人。一人暮らしの老婆たち。酒場にたむろする男たち。老人たちの電話によるネットワーク。こうしたものって、パリに限らず、例えば東京の下町でも同じように存在しているものでしょう。

 僕の住まいもバブルの地上げに取り残されたような東京ど真ん中のゴミゴミした地域ですから、この映画に登場するような人間関係はごく身近に感じられました。ひとり住まいの老婆たちが多いのも、彼女たちが電話を中心にした恐ろしく素早い情報網を持っているのも映画の通りです。あれは誇張じゃないんだよね。近所の酒場に古くから住んでいる中年男たちがたむろしているのも同じ。外からながめているとわからないけど、一歩中に踏み込むと、そこには濃密な人間関係が息づいている。

 映画はごく狭い範囲で積極的にロケ撮影を行い、出演している役者たちも新人(つまりは素人)が多いみたいです。主人公クロエを演じたギャランス・クラヴェルも、この映画が本格的なデビュー作だそうです。結構しっかりとした個性を持った人ですよね。多分普通の映画では脇役しか演じられそうもないタイプですけど、この映画ではじつに生き生きとその存在感を主張しています。

 登場人物たちの中では、クロエの猫を預かって行方不明にしてしまうマダム・ルネが素晴らしい。なんだか親しみのわく風貌だなぁと思ったら、このお婆ちゃま、ちょっと淀川長治さんに似ていますよねぇ。小柄な体格も、歯に衣着せない毒舌もね。彼女がいわばこの事件の発端を作った張本人なんだけど、悪意がなくて面倒見が良くて、他のお婆ちゃま連中をまとめ上げて、あっという間に猫探しネットワークを作ってしまう行動力には頭が下がります。78歳の彼女も、これが映画デビュー作。

 僕は物語そのものより、街の中の小さな風景の描写や登場人物たちの小さなエピソードの方が面白かった。また、これはそういう細部を楽しむ映画でしょう。逆にクロエとドラム叩きのエピソードみたいに、ことさらストーリーを追おうとすると、映画は途端に詰まらなくなるんだよね。観ることでリラックスできる映画です。


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