いつか晴れた日に

1996/07/23 銀座シネパトス1
登場する人物ひとりひとりがよく描けている。文句なしにこれは傑作。
『乙女の祈り』のケイト・ウインスレットが素敵。by K. Hattori


 観ようかどうしようか迷っていた映画だけど、無理して観てよかったと心から思った作品。現時点で、今年観た映画のナンバーワン。オースティンの原作は読んでいないが、エマ・トンプソンの脚色には人物の出し入れに無駄がなく、キャラクターの人物造形も色彩豊か。アン・リー監督の演出は正攻法で奇をてらったところがないが、画面にあふれるほとばしるようなみずみずしさと、適度な緊張感を感じさせる役者たちの芝居は、物語の中に観客をぐいぐい引き込んでゆく。僕は登場人物たちの喜怒哀楽に、一緒になって一喜一憂していました。アン・リー監督の映画は『恋人たちの食卓』ぐらいしか観ていなかったんだけど、今時ホームドラマがこれだけ撮れる監督は貴重かもしれません。『いつか晴れた日に』も、きちんとホームドラマになっていました。

 映画には素敵な場面がたくさんあって、とても一言で「ここが良かった」とか「あそこがいい」なんて言えないくらい。貧しい貴族の三姉妹のうち、優等生タイプの長女エリノアと、思ったことが素直に態度に出る次女マリアンヌという対照的な二人に焦点をしぼった物語は、エリノアを演じたエマ・トンプソン、マリアンヌを演じたケイト・ウインスレットの魅力もあって、じつに生き生きと描かれていました。

 ウインスレットは『乙女の祈り』の少女役の延長にあるような芝居で意外性はありませんでしたが、喜びも哀しみもそのまま顔に出てしまう様子は見ていても惚れ惚れします。一方のトンプソンは、感情を言葉や表情の下に押し込めた分別くさい女の役ですが、それでもちょっとした目の輝きや仕種から十分すぎるほどの感情が伝わってくる。水面下で感情が複雑にとぐろを巻いているのが観客に十分伝わっているからこそ、終盤で彼女の感情が突沸するところに感動が生まれる。マリアンヌに向かって「私は苦しかった」と告白するところや、病に倒れた妹にすがって泣きながら「死なないで」と懇願するところなど、涙なくして観られません。白眉はクライマックスのヒュー・グラントの台詞に、彼女が感極まって鳴咽するところでしょう。張り詰めていた感情の糸が、この一瞬にほぐれる様子が見事です。

 登場する男たちの中では、そのヒュー・グラントが一番つまらないのは残念でした。しゃっちょこばってボソボソしゃべる能無し男に見えてしまった。同じ立っているだけでも、アラン・リックマン演ずるブランドン大佐の方が何倍も素晴らしい。この役はかっこいいなぁ。若い頃の恋の失敗と痛手があるからこそ、新たに出会ったマリアンヌとの恋に迷うことなく打ち込める。チクショウ、俺もこういうオヤジになりたいぜ。

 マリアンヌを捨てて金持ちの女と結婚するウィロビーにも優しい目が注がれていたことで、この映画の厚みはぐっと増しました。みんな恋に苦しみ、苦しみと後悔の中から自分の人生を切り開いてゆく。丘の上からマリアンヌの結婚式を見守るウィロビーに男は共感するのだ。


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