愛するための第9章

1996/07/06 渋谷シネパレス
ヒュー・グラント主演のアメリカ映画『9か月』の原作となった映画。
リメイク版がドタバタ喜劇だとすれば、こちらは落語の味わい。by K. Hattori


 ヒュー・グラントとジュリアン・ムーアが主演した、クリス・コロンバス監督のアメリカ映画『9か月』。その原作になったのが、この『愛するための第9章』だ。このオリジナル版をみると、コロンバス監督がフランスのコメディ映画を、いかにしてハリウッド映画に料理したか、あるいはコロンバス監督のコメディセンスというものがうかがえて面白い。

 両方の映画には、ほとんど差がない。人物の配置から役柄から芝居の設定から細かいギャグ、登場人物たちのファッションセンスまで、すべてが同じなのだ。『9か月』はコロンバスが脚本も書いたことになっているけど、これは脚本を翻訳しただけで翻案にもなっていない。これはコロンバスが手を抜いたというより、それだけオリジナルの脚本が良くできていたってことでしょうね。『愛するための第9章』の脚本を書いたのは、監督と主演も兼ねたパトリック・ブラウデ。原案には子煩悩な先輩パパを演じたダニエル・ルッソの名もあがっています。

 コロンバスのアメリカ版は、オリジナル版をうまくハリウッドの役者に置き換えたなとびっくりするところもある。ダニエル・ルッソがトム・アーノルド、その奥さん役カトリーヌ・ジャコブがジョーン・キューザック、子ども嫌いの画家役パトリック・ブシテーをジェフ・ゴールドブラム、怪しい産婦人科医パスカル・レジティミュスをロビン・ウィリアムズに置き換えるあたりは見事ですね。オリジナルとリメイク版を見比べると、もうこれ以上の置き換え方はなかろうというぐらいはまっている。両者の一番の違いは主演カップル。冴えない中年男ブラウデと二枚目のグラントでは、映画の印象がずいぶんと違ってくるし、フィリピーヌ・ルロワ=ボーリューとジュリアン・ムーアじゃ大違いだよ。

 この映画の面白さは、生まれてくる赤ん坊と父親である男のエゴのぶつかり合いにあるんだけど、それは常に「中絶」ということが念頭にある残酷なものなんだよね。オリジナル版ではその残酷さをヒネリを利かせながらも正面から描いていたけれど、ハリウッド版ではこうした大人の残酷さから逃げようとしていた。結果としてオリジナル版は男が妥協しながらその中に喜びを見つける話になり、ハリウッド版は往生際の悪い男が観念して父親になる話になった。どちらがいいかは一目瞭然。

 主人公の夢の中で自分の子ども(と言っても18歳の青年)を皆で寄ってたかって殴ったり蹴ったりする場面と、その子どもが血まみれで父親の枕元に立つくだりは最高に面白かった。病院の待合室で、妊婦が全員おしっこを我慢しきれなくなるシーンも面白かった。(口笛でラ・マルセイエーズを吹くのが可笑しい。)これは確かハリウッド版にはなかったはず。こうした糞尿譚はヨーロッパ人の方がうまいなぁ。やることはきちんとやって、それでも下品にならない範囲をよく心得ています。


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