カジノ

1996/05/12 日比谷スカラ座
デ・ニーロ、ジョー・ペシ、シャロン・ストーンの3人が、
結果としては物語を食い散らかしてしまった。by K. Hattori


 一攫千金の夢を売るカジノは、そのじつ決して客に勝ち目のないギャング達の集金マシンである。いかにして客から金をむしり取るか、虚々実々の駆け引きが日夜繰り広げられている場所なのだ。いかさま師たちはディーラーや警備の目を出し抜くいかさまの手口を考え出し、監視の目はそれを見破ろうと周囲を取り囲む。賭場で大勝ちした客を外に逃がさないのは日本のやくざ映画も同じだが、バカラで大勝ちした客(日本人)を逃がさない周到な手配りには感心した。やり口が洗練されているよなぁ。

 ロバート・デ・ニーロ主演のギャング映画なのだが、デ・ニーロ自身はギャング役じゃない。彼の役柄はギャングの親分達からラスベガス随一のカジノ経営を任されている元ばくち打ちエース。ギャンブルの裏も表も知りつくした彼の手腕でカジノは大繁盛するが、そこで生み出される富を目当てにさまざまな人種が群がってくる。

 映画の中ではデ・ニーロより、その妻ジンジャーを演じたシャロン・ストーンや、エースの親友であり用心棒でもあるニッキーを演じたジョー・ペシが圧倒的な存在感を見せつける。この映画は主人公のすぐ側でストーンとペシが挫折し没落し破滅して行く物語であって、エース自身は最初から最後まで立場があまり変わらないんですね。エースとニッキーの若い頃の話は確かに出てくるけど、彼らのサクセスストーリーってわけじゃない。エースは登場したときからカジノを牛耳る大物だし、最後の最後まで自分なりの立場は守り通す。主人公が動かないから観客は主人公に感情移入もできないし、かと言ってジンジャーやニッキーのも同情できない。ひたすら彼らの語る一連の物語を聞くだけの立場に回される。

 エースを追ってラスベガスに乗り込み、そこで荒稼ぎするニッキー。エースに見初められて彼の妻になり、薄汚い女ギャンブラーから一躍世界の表舞台に立つジンジャー。この二人は映画の中できちんと成功への階段を上り詰め、そこからもつれ合うようにしてまっ逆さまに落ちて行ってみせる。映画『カジノ』が二人のためのドラマだって事ははっきりしている。ただ問題なのは、デ・ニーロも含めて登場する役者たちがみな大物すぎるってこと。結局物語をこの3人が食い合って、全体を散漫なものにしていないだろうか。語り手をチンピラのレイ・リオッタに設定して、デ・ニーロとペシの大きさを浮かび上がらせた『グッドフェローズ』に比べると、この映画はドラマが一点に集約して行く醍醐味に欠ける。終盤の大殺戮に息詰まるサスペンスが欠如しているのも、そんなことに原因があると思うけどな。

 この映画でゴールデングローブ賞を獲得したシャロン・ストーンは確かに熱演。場面によってはデ・ニーロとペシを食ってしまうんだからすごいよね。


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