玉割り人ゆき

1996/03/24 大井武蔵野館
低予算でもスタジオの中でこういう映画が作れた時代があった。
単なるエログロに終わらない演出者のセンスが感じられる。by K. Hattori


 東映の牧口雄二監督が、昭和50年に撮ったデビュー作。正味1時間ほどの映画とはいえ、端正な語り口調と流麗なカメラワークで、新人離れした映像美を作り上げることに成功している。

 タイトルにある「玉割り人」とは、遊郭で水揚げ前の女に客あしらいのイロハやさまざまな性戯の手練手管を仕込む役目。まだ男を知らない女の肌を値踏みし、彼女たちのセックスにランクをつけるのが玉割り人である。映画は主人公ゆきが二人の女を同時に玉割りする場面から始まる。女と肌を合わせながら、無表情に愛撫を続ける玉割り人ゆき。全裸でからまり合う女の口からほとばしる嬌声。周囲から生唾を飲み込みながらそれをのぞき込む旦那衆。女の性が金でやり取りされる遊郭のグロテスクな日常と、その中で生き抜く主人公の対比を見事に描いたオープニングです。

 遊郭の女達の中には、なじみになった男と廓を抜けだそうとする者もいる。こうした足抜け女郎を折檻するのも、玉割り人に与えられている大切な役目です。逃げた女の生爪をペンチで剥ぐのを見ながら、表情ひとつ変えないゆき。この場面は女と逃げようとした客を演じる川谷拓三が秀逸で、激しい拷問の予感に身を震わせ、「わしゃ知らんぞ〜」と言い逃れする男の見苦しさを熱演。男に裏切られた女郎はこの男の男根を切り取ろうとするが、いざとなると剃刀を持つ手が震える。「本当にそれが欲しいの?」と女にたずねるゆきに女がうなずいた瞬間、彼女は女の手を取り男の股間に突き立てる。飛び散る鮮血、川谷絶叫悶絶。男なら例外なく金玉が縮み上る残酷描写。玉割り人ゆきは、まさに鬼です。

 主人公ゆきを演じる潤ますみの硬い表情と抑揚のない台詞回しは他の役柄なら「下手くそ」の一語で片付けられそうだが、この映画ではそれが逆に「女であって女でない」玉割り人のキャラクターに、ある種のリアリティーを与えている。

 そんな主人公の前に現れたのが、無政府主義者の森という男。己の夢や理想の実現に目をギラギラ光らせながら、過激な革命をたくらむこのテロリストは、同じ最底辺の世界に住みながらも、ゆきとは正反対の人物。正反対だからこそ惹かれ合うというのが、こうした物語の定番です。案の定結ばれたふたりは二人で東京に逃げようとするが、ゆきを恨む川谷拓三が列車の中で森を刺し殺す。失血でもうろうとする意識の中で、森は辛うじて川谷を射殺し絶命。ゆきは森の後を追おうとピストルを握るが、そこにはもう弾が残っていない。死ぬことすら許されないゆきの哀れさが、ズボンのすそから小便を垂れ流しながら死んでいる川谷と対照的に描写される。全てを失ったゆきが駅のホームに降り立つラストは叙情的な名場面。電話ボックスは低予算の悲しさか……。


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