トゥルーナイト

1996/03/20 丸の内ピカデリー2
有名なアーサー王物語をめちゃくちゃに潤色した映画。
リチャード・ギアがかっこいいだけに罪が重い。by K. Hattori


 ヨーロッパ中世から親しまれたアーサー王伝説から、放浪の騎士ランスロッドと王妃グィネヴィアの物語だけを取り出して映画にしたものだが、オリジナルにハリウッド流の改竄を加えた結果、愚にもつかぬ駄作になってしまった。

 アーサー王伝説ってのは古代ケルトの伝説に外来のキリスト教が混ざって形作られているものらしく、中身は剣と魔法がしのぎを削る古典的ファンタジーの世界なのですね。今回の映画は主人公たちを観客の共感を呼ぶ身近な人物に設定したかったためか、物語が本来持っていたファンタジックな要素を全てはぎ取り、まるで歴史劇のような泥臭い筋立てになっている。これが大失敗。アーサー王伝説の中身は不倫あり骨肉の争いありの家族ドラマで、そこに魔法だの魔女だのが謎めいた予言だのが登場して、世界のスケールを大きく見せているわけです。ファンタジーじゃないアーサー王物語は、田舎大名の身内の争いでしかない。ぜんぜんつまらない。そもそも聖杯探求もエクスカリバーも魔法使いも出てこないアーサー王物語なんて、アーサー王物語じゃない。

 アーサー王伝説は中世騎士道のバイブルとも言える物語で、中身は聖杯探求に象徴されるキリスト教世界を守る騎士たちの話と、ランスロッドとグィネヴィア王妃のエピソードに象徴される高貴な女性のために戦う騎士の物語からできています。ヨーロッパ中世の騎士道は日本の武士道と違い、封建的な主従関係とは別の次元にあるんです。騎士が戦うのはキリスト教のためであり、自分より身分の高い女性のためだった。若い騎士たちにとっての名誉は、例えば自分の主君の妻や娘のために戦うことによって高められて行く。騎士が実際にそうした高貴な女性方とおつきあいすることはまずないわけですから、これは倒錯したプラトニックラブと言えましょう。

 アーサー王物語でランスロッドやトリスタン(相手は自分の叔父であり主君であるマーク王の妃イゾルデ)がヒーローたり得るのは、実際には禁じられている主君の妻との肉体的な接触をやすやすと(その前段階にはいろいろあるけど)実現してしまうからなんですね。要するに不倫願望です。不倫の代償が高くつくのは世の東西を問いません。ランスロッドとグィネヴィアの恋愛は、最後に円卓の崩壊とキャメロットの滅亡を招いてしまう。トリスタンとイゾルデの恋も苦しみの中で終わります。

 『トゥルーナイト』のどこが我慢できないって、アーサー王が死んだ後もキャメロットが残ることです。アーサーがグィネヴィアをランスロッドに託し、安らかに死んでしまうことです。ランスロッドはアーサーにかわってグィネヴィアを妃に迎え、キャメロットの王座につくのです。そんな、ば、ば、ば、馬鹿な! と思わずドモってしまう結末でした。


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