フォー・ルームス

1996/01/07 松竹セントラル1
映画会社も観客も「タランティーノ」というブランドに甘えている。
話題にするには物足りない小さな小さな映画。by K. Hattori


 様々な人が集まるホテルという場所は、映画の舞台になりやすいところです。何の縁もゆかりもない他人同士が集い交差する様子は、考えてみればそれだけでドラマチックです。そこには人生の縮図がある。人間の本質がかいま見られることがある。ホテルの一夜を宿泊客それぞれの立場で浮き彫りにして行く手法は映画の常套手段で、古くは『グランド・ホテル』という名作があり、新しくはジャームッシュの『ミステリー・トレイン』がありました。

 タランティーノの前作『パルプ・フィクション』は、舞台こそホテルでないものの、しっかりと『グランド・ホテル』の末裔ぶりを発揮。だからこそ、そんな彼が仲間の監督たちと共同で、ホテルを舞台にしたオムニバス風映画を作ると聞いても安心していられたのです。でも、それは買いかぶりでした。

 こんなに退屈な映画は久しぶりに観た、というのが正直な感想です。僕は生あくびをかみ殺しながら、映画が終わってくれるのを今か今かと待ち望みました。とにかく全編にまとまりがぜんぜんない。エピソード同士が有機的につながって行かないのは、まぁ大目に見るにしても、ひとつひとつのエピソードが決定的につまらないのは解せないところです。全てのエピソードが尻切れとんぼで、オチらしいオチを迎えないままティム・ロス演じるベルボーイが次の場所に移動してしまう。こんなのアリでしょうか。

 尻切れとんぼで観客をはぐらかすのが、ギャグとして成立していればまだ許せるんです。さんざん盛り上げといて梯子をはずすのは、アンチクライマックスギャグの典型ですからね。ただ、それをやるためにはラストまで客をグイグイひっぱってゆく魅力が、それぞれのエピソードになければならない。

 この映画のそれぞれの部屋で、それぞれの結末に置かれているギャグの数々は、オチではなくてクスグリです。あれで終わりなんて、コメディ映画としては許しがたい怠慢でしょう。321号室は意味不明。404号室は古くさすぎる。309号室は尻切れとんぼ。ペントハウスが辛うじてアンチクライマックス型として成立していた程度かしらね。とにかくあそこまで引っ張って、あそこまであっけなく終わらせて、あそこまで痛快な印象を残すのはさすがでしょう。でも、あの最終エピソードも良かったのはあのラストシーンだけで、それ以前はどうもモタモタした切れ味の悪さを見せる。はっきり言って、役者としてのタランティーノは大根です。脚本の歯切れはいいのに、動きと台詞に歯切れがないのです。

 全体的に粗雑な印象しか受けない映画で、仲間内でワイワイ作ったらしい楽しさ風なものが辛うじて伝わるか伝わらないかというところ。豪華な俳優陣もぜんぜん生かされていないのが残念でした。


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