右門捕物帖
恐怖の十三夜

1995/12/10 大井武蔵野館
クライマックスの壮絶な殺陣は剣戟の神様嵐寛の面目躍如。
ダイナミックさとスピード感にたっぷり酔える。by K. Hattori



 この日の大井武蔵野館は混んでいた。前日は同じアラカン主演の映画でもガラガラだったのに、この日は立ち見客も出る盛況ぶり。なんと、その立ち見客の中に僕もいた。この日はこの『恐怖の十三夜』に続けて鞍馬天狗を2本上映。つまりは映画3本ぶっ続けて立ち見するという、とんでもないことをしてしまいました。しかもその後、三軒茶屋まで行って観落としていた洋画を2本観たんだから馬鹿だよね。おかげで体力使い果たした僕は、この後2週間ばかり映画を観ていません。映画も観すぎるのはいけませんね。おかげで感想文のノルマもたっぷりたまって、それがまた新たな映画鑑賞意欲の足を引っ張るのだから話はあべこべです。

 映画がつまらなければ映画館を出てしまおうと覚悟を決めての立ち見でしたが、幸か不幸か3本が3本とも結構面白く、結局最後まで立ちんぼを続けることになりました。

 夜の永代橋で右門が見つけた少女。今にも橋から大川に身を投げそうな表情の少女を自分の家に連れ帰った右門だったが、彼女の身体には折檻のあとが残されている。少女の父は岡山池田家の禄をはむ侍だったが、浪人して江戸に出ている内にある夜突然乱心し、永代から大川に身を投げて死んだと言う。残された父親の後添えは、早々に若い御家人を引き込む一方、少女に陰険な折檻を繰り返している。これが事件の発端だった。

 必要なこと以外はほとんど口を利かない右門だが、この映画の右門はそうでもない。おしゃべり伝六相手にも、結構いろいろとしゃべっているじゃないか。この映画では伝六がことあるごとに「旦那、カゴを呼びましょうか。カゴでやんしょ」と右門をせき立てるのだが、そういえば以前観た戦前の右門シリーズの中でも、右門がカゴを呼ぶところが物語のクライマックスへの入口になるのだった。あごをさすりながらじっくりと推理をしていた右門が、いざ敵陣に乗り込もうと言うときには開口一番「伝六、カゴを呼べ」となる。こういうお約束ごとがあるキャラクターは、それをやらないと観客が納得しないんだろうね。さんざん待たされたあげくこの台詞が出ると、やはりほっとするんです。

 少女とその父親が池田家のお家騒動に巻き込まれていることを察知した右門は、池田家の江戸屋敷に乗り込んで見事親子を救出するのだが、この場面の殺陣は見事だった。この場面は、親子を助けたあとひたすら逃げる、いわば自衛のための剣。右門は群がる敵を峰打ちでかわしながら、時に自分の身を、時に仲間たちの身をかばいながら、最後は船で大川に滑り出す。ダイナミックな殺陣とスピーディーな演出のつるべ打ちは、一種の快感ですらある。


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