ガルシアの首

1995/11/03 文芸坐2
死んだ男の腐りかけた首を巡って大のおとなが血みどろの殺し合い。
メキシコの土埃と汗の臭いがするような映画。by K. Hattori



 死んだ男の首を巡って、男たちが殺し合いを演ずる物語。死体を墓から掘り出すとか、遺体の首を切断するとか、切り放した首から死臭がぷんぷん臭うとか、グロテスクなシーンが少なくない。でも一番グロテスクなのは、生きている人間たちです。ガルシアの首を目の前に持ってこいと命ずる富豪も、賞金目当てに首の取りっこに熱中する男たちも、女連れで墓を目指す主人公も、首を取り戻そうとする遺体の遺族たちも、損得を越えた何かにとりつかれたように凄惨で殺伐とした場面に足を踏み入れて行く。

 人間の重層的な感情を克明に描写する演出は、見事としか言いようがない。たぶん、たったひとつの感情だけでは、人間はこうした行動をとれないのだと思う。男たちが行動しているのは、単に賞金目当てではない。多額の賞金がひとつのきっかけになって、男たちの中にある別の欲望に火がついてしまう。あるいは、もっと原始的な感情かもしれない。あるいは面子や嫉妬。そうした様々な感情がどろどろと入り交じって、この物語にコクが出ているのだ。

 酒場でピアノを弾いていた主人公が、二枚目の女たらしガルシアを探す二人のアメリカ人の話を聞いたとき、まさか自分でガルシアの首を探しに行こうとは思っていなかったに違いない。彼はちょっとした金が手に入れば。それでよかったのだろう。ところが、自分の恋人がガルシアと深い仲になっていたと知ったことが彼の嫉妬心を掻き立て、本来彼が演じるべき役回り以上の役を彼に演じさせてしまう。彼の嫉妬心は、ガルシアが既に死んでいると聞いても収まらない。恋人の浮気相手に対する復讐心が、首の切断という行為に彼を駆り立てる。当事者の一方が死んでいるという歪んだ三角関係を清算するためにも、主人公は恋人を連れてガルシアの首を探しに行かなければならない。恋人の目の前でガルシアの首を切断し、恋人に自分の存在をアピールしなければならない。それが彼の男としての意地なのだ。

 しかし話はそれで終わらない。まんまと墓を掘り当てたとたん、主人公は何者かに殴り倒され、掘り当てたガルシアの首を奪われる。さらには恋人も殺されてしまう。三角関係の清算を目指したはずの主人公の行動は、この時点で大きくねじれて行く。

 この後、映画全体を支配する高揚した緊張感の維持は見事だと思う。爆発的な感情の高まりと、静かに死んで行く人々。このあたりの描き方は芸術的と言っていいぐらい絵になっている。前半で散発的に見せていた伏線が効いてくる。結局最後までに何人の人間が命を落としたのだろう。数を数えるなどと言う考えが麻痺するぐらい、この映画で死は軽んじられている。最後に登場人物がみんな死ぬと、結局は最初から死んでいたガルシアが一番強かったんじゃないかという気になる。


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