座頭市あばれ凧

1996/01/02 文芸坐2
夜の闇の中に浮かび上がる座頭市の姿。夜空に舞い上がる花火。
殺陣の緩急に座頭市映画の神髄がある。by K. Hattori


SCORE

 予告編を観たときから期待していた映画。タランティーノの『レザボア・ドッグス』を露骨に意識しているこの映画は、内容も『レザボア・ドッグス』をなぞって行く。これをパクリという人もいるだろう。でも、僕が思うにこんなものはパクリではないのです。これは、タランティーノの映画を愛するあまり、そのスタイルに共感するあまり、それを模倣してしまった結果に過ぎないのだ。映画を芸術作品と見るならば、模倣は芸術家として最も許されがたい、唾棄すべき行為かもしれない。でも、映画には娯楽という側面があることを、忘れちゃならないのだよ。娯楽映画は模倣だろうがなんだろうが、とにかく面白ければいいのです。面白ければ許される。何かを模倣したのなら、模倣の結果で金を取るのなら、オリジナルより面白くなきゃいけない。それが模倣する追従者に課せられた使命です。

 でもってこの『SCORE』ですが、この映画は発射される弾丸の数と流される血糊の量で、完全に『レザボア・ドッグス』を越えている。また、画面全体からほとばしる、この熱さはいったい何だ。タランティーノの映画は、映画マニアが作った緻密な工作が感じられる。作為や技巧の匂いがプンプンする。もちろんそれは映画作りのうまさということでもあるのだが、技巧を感じさせた時点で画面が一瞬冷めるのだ。『SCORE』は作り手の情熱が、映画作りのテクニックを乗り越えて、ダイレクトに観客に伝わってくる。フィルムの一こま一こまに、スタッフたちの血と汗の匂いが染み着いている。こんなに熱い映画はめったにあるもんじゃない。

 全編に「いかにも」という紋切り型の表現が目に付くが、これもこの映画の欠点にはなっていない。紋切り型の表現が物語から暴力のリアリズムを適度に奪い去り、痛快な活劇の醍醐味だけを浮かび上がらせる。発射した弾丸が3千発、流した血糊がバケツに20杯(推定)という映画であるにも関わらず、あまり血生臭い印象がないのはそのせいだ。とにかく、登場人物たちが何発銃弾を受けても死なないのには最初呆れ、やがて慣れ、しまいには愛らしく思えてくる。こうしたばかばかしさ一歩手前のお約束事につき合えるか否かが、この映画の好き嫌いを分けるに違いない。

 制作費3千万円という低予算の映画だそうだが、冷たい経済状態を熱い情熱が補っている。監督はこれが劇場映画デビューになる室賀厚。主演とプロデュースが小沢仁志。30代にさしかかったばかりの若いエネルギーが映画にみなぎる。製作は奥山和由。こんな映画が年に10本もあれば、日本映画はきっとまだまだ大丈夫だという気になれる快作。この映画がヒットして、この監督・主演コンビの次回作が観られることを期待する。


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