プリシラ

1995/10/17 シネスイッチ銀座
オーストラリアの砂漠を3人のオカマがバスに乗って突っ走る。
キャラクターもエピソードも愛らしい素敵な映画。by K. Hattori



 年齢も個性も違う3人のオカマが、おんぼろバスに乗り込んで砂漠の中を突っ走るロードムービー。バスの名前が「砂漠の女王・プリシラ」で、それがそのままタイトルになっています。舞台はオーストラリア。オーストラリアは広い! 赤い砂ぼこりが立つ砂漠の一本道を、どこまでもどこまでも走ってみても、目的地までは何日もかかる。おまけに近道しようと砂漠の未舗装道路を行けば、エンジンが砂を吸い込んで故障してしまうという不運。砂漠のど真ん中で、バスト共に取り残される3人のオカマ。それでも何の緊張感も緊迫感もないのだよ、この人たちは。むしろオカマだけの、自分たちだけにわかりあえる世界を楽しんじゃってる。

 それぞれに事情を抱えて都会を飛び出した3人だけど、田舎町では女装した男たちに対する風当たりも強い。どこに行っても好奇の目にさらされる、冷たい仕打ちもうける、危害を加えられそうになることもある。でも、3人はめげない。彼らがオカマだって事は、彼らの生き方そのものなんだもんね。オカマであることがオシャレだとか、かっこいいとか、少しファッショナブルであるとか、センスがいいのではないかとか、そんなつもりは毛頭ない。彼らはオカマとしてしか生きられない。言ってみれば、神様が彼らをそう作ってしまったのです。だから、自分たちがオカマであることで、罪の意識なんて持っていない。彼らにとっては、オカマであることがノーマルなのです。でも、そんな彼らを受け入れられない人たちがいることも事実。自分たちが受けれられようが受け入れられなかろうが、3人は自分たちがオカマとして生きることには、何の疑念も持っていない。ただ、ある一点をのぞけば……。

 それは、登場人物のひとりに子どもがいるという問題。彼はオカマとしての生き方と、父親としての役割の間にうまく折り合いがつけられない。それで悩んでいる。子どもに対しては「良い父親」でありたいと思う。するとその「良い父親」のステレオタイプな姿と、自分の生活とがオーバーラップしないのだ。けどこれは、何のこともなく解決してしまう。ほとんどアクロバットに近い視点の変化だけど、それも物語前半のエピソードがあるから納得できてしまう。彼の奥さんも、なかなか面白い人なのです。彼女のキャラクターが、この物語の終盤を軽やかなものにしている。あの夫婦関係や親と子の関係は、ある種の理想でしょうね。

 音楽と衣装がとても素敵。最後のステージシーンでくるくると変わる衣装も良かったけど、僕は砂漠の真ん中で焚き火を前に踊ったときの衣装が好きですね。バスの上でギンギラの衣装を風になびかせている場面も、思わずため息が出るぐらいしびれた。魔法のように、観る人を惹きつける映画でした。


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