ワイルド・イースト

1995/10/15 文芸坐
カザフスタンで作られた黒澤の傑作『七人の侍』のバリエーション。
テンポがすこしずつずれていて乗れないなぁ。by K. Hattori



 できの悪い『七人の侍』の焼き直し。黒澤の傑作が、いかなるルートでこのような変貌を遂げたのかはわからない。もっとも、この映画などは『七人の侍』というより、その翻案である『荒野の七人』あたりを下敷きにしているのかもしれない。あるいは、さらにそれを翻案した『宇宙の七人』がモデルかも。誰か一度、これら『七人の侍』のバリエーションを、一堂に観る機会を作ってくれないものだろうか。

 映画『ワイルド・イースト』は戦国時代の集落が舞台だった『七人の侍』を、近未来の小人の村に変えている。その上で、この映画はかなり忠実に『七人の侍』をなぞっているのが面白い。くぼ地にある村の地形もなんとなく似ているし、最初に村人たちが鳩首会談するところも似ているような気がする。侍ならぬ雇われ兵士たちの中には、やっぱり得体の知れない、ひょうきんさだけがとりえの菊千代タイプの男がいたりする。戦士たちが村に着くと、村人たちがおびえて家の中に隠れてしまうのも、黒澤の映画をきちんと踏襲している。

 それにしても、全体がなんとも言えずにチャチなのだ。音楽なんて、同じテーマの繰り返しだし、撮影にも特に凝ったところがあるとは思えない。登場人物たちがあまり感情をあらわにする芝居を見せないところも、かわいた雰囲気と共に、チャチな雰囲気もかもし出してしまう。小道具らしい小道具はないし、まるで子どもが戦争ごっこをしているような無邪気さ。タイガーと呼ばれる謎の兵士、ドクロの面を着けたバイク乗り、鷹を連れたモンゴル人など、いわく因縁のありそうな人物たちを配置しておきながら、それらの特徴がほとんど物語に反映していないのも、もったいないというか何というか。そうしたちゃちな展開の中で、随所に見える魅力的な仕掛けの数々。撃たれた女兵士の胸元に、ハート型の血だまりができる場面などはしゃれています。

 物語は途中から『七人の侍』を大きく踏み外して行くように見えて、最後の対決シーンではまた『七人の侍』が敷いたレールの上を走り出す。村の中で行われる大乱戦。ばたばたと倒れて行く兵士たち。最後は村はずれに戦いで死んでいった兵士たちの墓が作られ、種蒔きを前に沸き立つ村を後に、生き延びた兵士たちは去って行く。

 この映画はカザフスタンで作られているんだけれど、カザフスタンって、いったいどの辺にある国でしょうか。たぶん、旧ソ連のどこかなんでしょうね。中央アジアのあたりでしょうか。なんにせよ、黒澤の映画の影響は、日本から見ると地の果てであるようなカザフスタンまで届いているのです。これはすごいことですよ。映画の魅力は、国境や距離、民族の壁をやすやすと超えるのですね。黒澤ってやっぱり世界的な作家なんだなぁ、と思わせる映画です。


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