きけ、わだつみの声

1995/07/16 シャンゼリゼ
こうした映画を今作るのも時代に対する一種の迎合だな。
しかし、現代にアピールするものはほとんどない。by K. Hattori



 東映の戦後50年記念映画。文部省選定。なんじゃこりゃ。僕にはこの映画を作った人たちの意図がさっぱりわかりません。主演は織田裕二、風間トオル、的場浩司、鶴田真由、仲村トオル、緒方直人ら。特に主人公というのはいないが、かといって集団劇でもない中途半端さ。太平洋戦争末期、学徒兵として戦場に散った若者たちを描いているのだが、人物たちは最初に神宮の壮行式典でそろうだけで、あとはバラバラ。緒方直人なんて、戦争に行かずに逃げちゃうんだもんね。

 脚本は早坂暁だけど、この人もベテランなんだからもう少しまともな仕事をしてもらいたい。本人は大真面目なんでしょう。良心的な仕事をしたつもりなんでしょう。だからこそ、余計にたちが悪い。この人の脚本なら、去年の『超能力者/未知への旅人』の方が面白かったぞ。同時代を生きたそれぞれの青春を描こうと欲張って、結局どれもが中途半端になっている印象は否めない。紋切り型の表現も目に付く。特攻隊員の仲村トオルは、通りいっぺんの悩みを抱えて通りいっぺんの死に方をする。勘弁してくれと言いたい。これじゃ紙芝居だ。

 緒方直人が兵役を拒否して逃げるわけだけど、これだけを描けばそれはそれでドラマとして成立するんだよね。でも、すでにこの脚本家にはこの材料から物語を組み立てるだけの体力がないのではなかろうか。物語の質より、素材の量で勝負している気がしてならない。緒方のエピソードが広島の原爆につながってしまうあたりなど、SF的な展開だなぁ。

 最も理解に苦しんだのは、織田裕二のエピソード。彼が上官を射殺するのはまぁよしとしよう。(本当はよくないけど、映画だから許す。)それより、彼が死ぬ前に言う台詞が気になる。「大差で負けていても、せめてワントライだけは奪いたい」。ふ〜ん。ヒロイックで勇ましい台詞だね。でもさ、結局このちっぽけな自尊心が、風間トオルと鶴田真由を殺すことになるのだよ。織田の台詞から見える意図は、そのまま当時の日本が戦争をはじめた理由に重なってしまって気持ち悪い。勝てるはずのない戦争だとわかっていても、欧米列強に一矢報いることで自分たちの存在と意地をアピールできると考えたのが当時の日本だったのではないのか。

 わからん映画ついでに言っておくと、的場浩司の登場が僕には解せない。彼がバイクで登場すると、映画は『きけ、わだつみの声』から突然、岡本喜八監督の傑作『独立愚連隊』になってしまうのだ。サイドカーから朝鮮人慰安婦なんて登場しようものなら、ますますその印象は強まるのである。

 さらにどうでもいいことだが、織田風間鶴田一行が先行した日本兵の死体を発見する洞穴って、東宝の『ひめゆりの塔』にも登場していたような……。


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