激流

1995/04/28 丸の内ピカデリー1
メリル・ストリープが熱演するほど際立つミスキャストぶり。
ケヴィン・ベーコンの好演が光る。by K. Hattori



 メリル・ストリープがどう見たってミスキャスト。この一点だけでも、この映画はかなり減点されてしまう。彼女はどちらかと言えば知的で洗練された女性、もしくは線が細くて神経質そうな役柄を演じると〈はまる〉タイプだと思うし、今までもそうした役柄を演じてきた女優だと思う。それが今回はいきなり急流下りのガイドという役柄で、役柄と役者がかけ離れている様子は気の毒なぐらいだ。この距離は、役者の役作りで埋めきれるものではない。ストリープは体重を増やすなど、かなりの意気込みでこの役にぶつかっているが、彼女ががんばればがんばるほど、かえって大物女優の存在感がグロテスクに際立ってしまうのだ。

 これは他の女優をこの役柄にあてはめれば、そのミスキャストぶりが一目瞭然となる。例えば、同じカーティス・ハンソン監督の映画『ゆりかごを揺らす手』でヒロインを演じたアナベラ・シオラでもいいし、レベッカ・デモーネイでもいい。彼女たちをこの『激流』のヒロインに据えた方が、はるかに映画としてはまとまりが出てくるはずだ。キャシー・ベイツがもう少し若ければピタリとはまるんだけど、そうすると犯人のケビン・ベーコンとの関係が別の演出になるな。ブリジット・フォンダがもう少し年をとると、いい感じになるかもしれない……。とにかく、メリル・ストリープは大失敗。彼女以外の女優でこの映画を撮れば、それだけで2倍は面白くなったであろうと断言できる。

 映画では、デビッド・ストラザーン演ずる父親がいかにして家族の中で権威を取り戻していくかというのが、ストーリーを引っ張って行く鍵になっているのですが、この展開がいささか強引で、僕にはついてゆけない。これはアメリカ人の家族観に僕が共感できないだけなのかもしれないが、結局あの父親と家族の関係がどう変化して行くのか、そのあたりが最後まで不明瞭だったと思う。最初に提示されていたテーマは、仕事と家庭・家族の関係だったと思うのだが、この一連の物語の後、あの父親は仕事と家庭の間で、自分の役割をどう位置づけて行くともりなのだろう。

 僕は、このあと父親が仕事と家族との間で、新しい関係性を作り出してゆけるとは思えなかった。少なくとも、そうした手がかりになるエピソードは映画の中に出てこない。要するに父親の権威なんて、こうした非常事態の中でしか発揮できないものなんだな。平凡な日常に戻れば、やっぱりこの父親に対して、息子や妻は不満を持つに違いない。男親にとっては、不幸な時代なのだ。

 悪役を演じたケビン・ベーコンの意外な好演と、川下りのスリルだけが、この映画の唯一の救いになっている。あの映像は迫力満点です。


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