セカンド・ベスト
父を探す旅

1995/04/09 銀座シネパトス3
心に傷を持つ者同士が新しい家族を作ろうとする物語。
養父と子供がぎこちなく接近して行く。by K. Hattori



 どちらかと言えば人付きあいの苦手な中年男が、10歳の少年の里親になることを通じて、まったくゼロから新しい人間関係を作ってゆく物語。養子になる少年もまた、それまでの対人関係に対するかたくなな態度を捨てて、新しい関係を模索してゆく。

 『最高の恋人』で大人のずるさや弱さをたっぷり見せつけてくれたウィリアム・ハートが、主人公の中年男を誠実に演じている。子役もびっくりするほどいい。だが、なぜか僕はあまりこの映画にノレなかった。登場人物それぞれの気持ちはよくわかるんだけど、誰にも肩入れできないんだなぁ。この映画って、観客の感情移入を拒絶する何かがあるんじゃないだろうか。物語に大きな破綻はないし、緩急の流れもいい案配。人物の造形や配置もバランスがとれている。それでも、この映画には観客にアピールするものがほとんど見つからない。不思議な映画だ。

 映画冒頭の短いエピソードで、少年と実の父親との関係を説明しているのだが、この描き方がちょっと生ぬるいね。少年と実父との絆が、少年の対人関係に並々ならぬ影を落とすわけだから、ここは観客にもっと鮮烈な印象を残す必要がある。残念ながら、僕はこの冒頭のエピソードに、それほどの重さを感じられなかった。結局、このシーンで観客を引っ張れないことが、その後の物語の展開を、説得力のないものにしているし、観客の感情移入を阻害することにもなっている。映画の終盤で少年の実父が登場する必然性は、物語の上ではあるんだろう。でも、映画の流れの中では、父親登場の必然性をまったく感じないんだ。すごく唐突に、彼は現れる。

 この映画の見どころは、W・ハートの養子になる10歳の少年を演じた俳優の存在感とうまさでしょうね。ちょっといま手もとに資料がないので名前がわかりませんが、こういう子役の登場を見るたびに、アメリカ映画、というよりアメリカ芸能界の層の厚さを感じざるを得ません。安達裕美しかいない日本とは、えらい違いです。

彼が自分で自分の体を傷つけるシーンが何度も出てくるけれど、その切迫した気持ちや痛ましさが、ぎりぎりのところで観客に伝わりきらなかったのは残念。これは演技力云々ではなくて、そのシーンの組立など、トータルな演出の問題だと思う。

 映画は二組の父と子の物語を描いているのだが、ふたつの物語が親密に絡み合って新しいドラマを作ることはなく、それがまた映画に食い足りない印象を持たせる。全体にパワー不足なんだ。アメリカ映画にも関わらず、ちょっとヨーロッパ映画っぽい落ちついた色合いの画面にはムードがあるが、その落ちつき具合が元気のなさに見えてしまう場面も多々ある。まじめに一生懸命作りました、という印象だけが残る映画だった。



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