全身小説家

1994/11/02 ユーロスペース1
死ぬまで嘘をつき通した小説家井上光晴の「嘘つきミッチャン」ぶりには敬服。
彼との愛を語る女たちより、黙っている奥さんが恐い。by K. Hattori


 作家・井上光晴がどんな作品を書いた人なのか、僕は知らない。でも、この映画に出てくる井上光晴は、そんなことを知らなくても十分に面白かった。監督の原一男が、この男の中から〈偉大な文学者〉としての側面を抽出しようとしたとは思えない。かつて『ゆきゆきて、神軍』で見せたと同様、ひとりの特異な人間に密着することで、その人間の中にあるドロドロとした根元的な部分をあぶり出していくのが目的だろう。

 人はみな自分をかざって言う。人は自分自身について本当のことを言うことができない。それは万人に共通のことだと思う。くしくも「人間は本当の年譜を持たない」と言い切る井上を中心に据えて、この映画はその本人が語れなかった「本当の年譜」に一歩でも肉薄しようと努めている。周辺の人物や関係者、友人たちによるインタビューと井上の言葉を交互につないでゆくスタイルで井上の語る虚構を暴くが、その後には結局何も見えてくることがない。

 友人の瀬戸内寂聴が語るように、井上には人に語ることのできない重大な秘密があり、それを隠蔽するために数々の虚構で自分を飾っていたのかもしれない。最終的にこの〈秘密〉がなんであるのかはわからずじまいだが、虚構の境界をていねいに調査することで、本来見えないはずの〈秘密〉が徐々に輪郭をあらわにしてくるあたりは、ミステリーのような面白さがある。

 それにしても、井上の語る虚構のいかにも本当らしいこと。口からでまかせも積もり積もると本物らしくなる。洗練され、ディテールを増し、人を感動させるに至る。井上の語ったインチキ霊媒の話は傑作だったが、彼はまさに死ぬまでインチキ霊媒だった。人が話してほしい話をして喜ばせる、サービス精神旺盛な男なのだ。女郎に売られた初恋の少女の話など、絵地図まで書いて微に入り細に入り説明するのだから恐れ入る。

 井上がかかわった女たちに直接インタビューしてしまうのもびっくり。手当たり次第に女に声をかけ、モノにしてしまうんだからすごいよなぁ。それでいて別れた後も、その女たちが井上の周囲から去らないんだからなぁ。ちょっと凡人たる僕には想像もつかない世界だなぁ。正月になると、そうした女たちが続々と井上の家に集まってくるわけだけど、これって怖いよなぁ。奥さんはどう思っているんだろうか。奥さんのインタビューがなかったのは、きっとそれが撮れなかったんだろうなぁ。やっぱり奥さんとしては、心中穏やかではいられなかったんだろうなぁ。

 嘘つきで、女たらしで、生活無能者の井上だけど、それがとってもチャーミングに描かれているのは、本人の人柄でしょうか。たっぷり2時間半以上を、ひとりの男の存在感だけで見せてしまうんだから、やっぱり井上光晴ってすごい!

 ドキュメンタリーの強さと、本物の迫力。同じような男を誰か俳優が演じれば、絶対に嘘っぽくなるものね。


ホームページ
ホームページへ