大いなる幻影

1994/10/04
騎士道精神と貴族階級の終焉を描いたジャン・ルノワールの傑作。
ジャン・ギャバンが骨っぽい男の魅力を見せる。by K. Hattori


 正直に告白するとあまり楽しめなかった。ハリウッド映画のスピードになれた僕の目から見ると、この映画はあまりにもテンポが遅い。一本の映画にしてはテーマが多すぎて、目移りしてしまう。視点は次々と変化し、登場人物に感情移入しにくい。エピソードが数珠つなぎで、大きな盛り上がりがない。脱走劇が中心ならそれなりの描き方があると思うのだが、まんまと脱走に成功するシーンもサスペンスに欠ける。劇場での芝居を見ているような雰囲気で、役者の演技は見応えがあるが、映画としての興奮はあまりない。いくつかの素晴らしいシーンはあるが、そのあいだが退屈でたまらなかった。

 ジャン・ルノワールの作品を観るのはこれが初めてで、まだ彼の演出タッチになれていないことが、映画を楽しめなかった原因だと思っている。以前小津安二郎の映画を並木座で連続して観たとき、最初の1,2本は全く退屈だったが、それとこれは似ている。今年はルノワール生誕100周年ということで、今後も彼の代表的な作品が何本か上映される予定だが、たぶんあと2,3本観れば、彼のタッチにもなれて、映画を楽しめるようになるでしょう。

 この映画で描かれているのは、単なる反戦の主張ではない。戦争や脱走劇を背景に演じ描かれるのは、人と人とを分断するさまざまな障壁についてのエピソードだ。戦争によって離ればなれになる家族や恋人。本来なら友人になれる者同士が、戦争によって敵味方に別れる悲劇。言葉が通じないことによるもどかしさ。階級意識の中にある特権と責任。世代論。時代の流れ。障害を持った老いた兵士の疎外感。民族差別。兵舎の門の外から新兵の訓練を見守る近隣の老婆たち。鉄条網で区切られた捕虜収容所。独房。物理的、社会的、心理的な多種多様の壁。

 脱走の最中知り合った敵方の戦争未亡人と、いつしか愛し合うようになる主人公。彼は戦争が終わったら彼女を迎えに来ることを誓い、国境を越えるため彼女のもとを去る。「戦争はこれが最後になればいい」と言う彼に、相棒のユダヤ人は「それは大いなる幻影だ」と答える。国家という壁をもともと持たないユダヤ人の台詞だけに、この言葉は重い。人間と人間のつながりを断とうとする障害が、なんとこの世の中には多いことだろうか。その最大のものは戦争や国境だが、その国境を楯にして主人公たちがドイツ兵の銃撃から逃れるラストシーンは皮肉だ。

 脱走用のトンネル掘りは『大脱走』の先駆となるものだろうし、笛を使った脱走のアイディアも面白い。収容所でのレビューと、そこからラ・マルセイエーズの大合唱になるシーンは見事。エリッヒ・フォン・シュトロハイムとピエール・フレネーの対決も見応えがある。ジャン・ギャバンは、今の俳優にはない男臭い魅力を見せ、マルセル・ダリオは軽やかに人間の強さや弱さを演じきる。いい映画だということだけは、僕にもわかった。


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