スナッパー

1994/09/21
女の子の妊娠を巡るホームドラマ。果たして赤ん坊の父親は誰だ。
アイルランドの下町風俗が映画の中に見事に結晶している。by K. Hattori


 女の子の妊娠から始まる物語だけれど、舞台がアイルランドということもあって、登場人物たちは「中絶」ということがほとんど念頭にない。もっとも、娘に妊娠を告げられた父親が言葉を濁しながら産むつもりか否かを問いただすところを見ると、アイルランドでも中絶そのものがある程度は普及していることがわかる。娘はとんでもない当然産むと言い張るが、これは当然のこととして両親に受け入れられる。こんな小さな描写が、僕には面白かった。

 産むと決めた後も、娘は子供の父親の名前を明かさない。どうしても言えないと突っぱねる。らちが明かないと見て取った父親が、やおら娘を飲みに連れ出すあたりがおかしい。この若い妊婦、しばしばグデングデンになるまで酔っぱらうが、誰もそれをとがめない。妊婦の飲酒をとがめるのが万国共通ではないことが、これでわかる。

 出来た子供を産むのは当然だが、その子が不義の子であれば母親は世間からとがめられる。他人の亭主が相手であるより、どこの誰とも知れない船乗りが相手である方がはるかに望ましいという価値観もおかしい。家族の一人が不始末をしでかせば、家族全員が白眼視されること日本と同様。ヨーロッパでは個人主義が徹底していると考えるのは、日本人が誤解している面もある。

 家の近所に酒場があるが、この酒場に娘も父親も入り浸っているところを見ると、酒場はここしかないことがわかる。父親はこの酒場で大立ち回りを演じ、以後この店には足を踏み入れないと宣言する。とたんに行き場がなくなって家でぶらぶらし始めるから、かわりの店もないのだろう。それにしても、食べ物があまり出ていませんね。日本の居酒屋だと、酒よりも食べ物がテーブルを占める面積の方が大きいと思うけど、みんな延々グラスでビールを飲んでいる。そうした飲酒文化なのでしょう。こうして飲み続ければ、いくら体質的に酒に強いヨーロッパ人でも酔っぱらう、気分が悪くなる、吐く、二日酔になる。でもハンドバッグの中や、流しの鍋の中に吐くのはよしたほうがいい。

 映画前半ではあまり登場人物たちに共感できませんでしたが、中盤から後半にかけてどの人物もとても素敵に思えてくる。特にいいのは中心になる父と娘だけれど、どっしりとかまえる母親や姉思いの兄弟姉妹たちも印象的。ひとりで舞い上がって勝手に家出したあげく、ほとぼりが冷めると真っ昼間に普通の顔して帰ってくる隣家の主人もおかしい。みんな悪い人じゃないんだけど、しばしば意地悪で物見高くて無責任になってしまう人間というものを、きちんと描いていた映画だと思う。

 生活細部の描写が実にきめ細かで、温度やにおいまで伝わってきそうな映画でした。この生々しさに共感を覚えるか否かで、この映画の好き嫌いは別れそう。残念ながら、僕はあまり好きな映画じゃなかったことを告白しておきます。嫌いではないけれど、ノレなかったのだ。


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