原題は『血と蜜の流れる土地』で、聖書に出てくる「約束の地」の比喩的表現「乳と蜜の流れる土地」のもじりだ。人々が生きていく土地。母なる大地。人間が生まれ、育ち、愛し合い、家庭を築き、新たな命を育む国。だがそんな土地が、憎悪と暴力によって流される血に汚される。映画の中に描かれるのは、異なる民族同士の間に生まれた純粋な愛と、その愛が暴力によってねじ曲げられ汚され破滅して行く姿。「乳と蜜」の流れる土地は、「血と蜜」の混じった土地に変わり果てていく。遠い昔の話ではない。ほんの20年ほど前の東ヨーロッパ、ボスニア・ヘルツェゴビナで起きた話だ。
本作の脚本を書き自ら監督したのは、ハリウッドの大スター女優アンジェリーナ・ジョリー。2007年に『A Place in Time』というドキュメンタリー映画を撮っているが、劇映画の監督は本作が初めてだ。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の親善大使を勤めたり、さまざまな社会活動に寄付を惜しまない篤志家としての顔を持つアンジーらしく、今回の映画もばりばりの社会派映画。1992年から95年まで続いたボスニア紛争で、ムスリム人のヒロインがセルビア人部隊の捕虜となり、性暴力の被害者となる様子を描いている。
ボスニア紛争で起きた性暴力については、既に何本もの映画が作られている。その中では『サラエボの花』が、レイプ被害を受けた女性と、その結果生まれた娘との葛藤を描く見事なドラマ作品だった。ボスニア紛争と連動して隣国クロアチアで起きた凄惨な性暴力については、サラ・ポーリー主演の『あなたになら言える秘密のこと』が印象に残る。だがこれらの映画は事件が残した傷痕を描いているのであって、事件そのものを描いているわけではない。『最愛の大地』は性暴力の現場を描く。女たちが殴られながらレイプされ、それを他の人間たちが笑いながら指差して笑う地獄のような風景だ。だがこの映画は、やはりその地獄を描き切れているわけではないと思う。描けるはずがない。それは監督のアンジーにその力がないということではなく、そんなものを描けば不快すぎて映画として成立しなくなってしまうからだ。
地獄のような景色を映画の中で描くには、映画としての工夫や仕掛けが必要なのだ。この映画ではそのために、主人公をムスリム人の若い女性と、セルビア人の若い男にした。迫害される側と、迫害される側に別れた現代版のロミオとジュリエットだ。ヒロインは恋人に守られて、凄惨なレイプ被害から一時的にせよ守られる。彼女は被害の当事者でありながら、被害から距離を取っている第三者なのだ。
しかしこのことが結果として、やはり映画そのものを弱くしているとも思う。映画の中盤以降はサスペンス・アクションのような展開になるが、こうした大きな枠組みによって、映画を観ている観客とヒロインとの間に距離ができてしまったようにも思う。
(原題:In the Land of Blood and Honey)
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