野獣死すべし

2013/07/09 新文芸坐
大藪春彦の同名小説を原作に忠実に映画化した作品。
薄気味が悪く、後味も悪い映画だ。by K. Hattori

13070901  大藪春彦の代表作のひとつ「野獣死すべし」は、1980年に松田優作主演で映画化されたものがよく知られていると思う。だがこれがそれ以前に、仲代達矢主演で撮られた作品。ストーリーは優作版より、この仲代版の方が原作に近いらしい。ただし主人公の伊達邦彦として一番原作に近いのは、この映画の15年後に『野獣死すべし 復讐のメカニック』で藤岡弘が演じたものだという話もある。原作の伊達は強靱な肉体を持つタフガイなのだ。だが仲代版の伊達邦彦は肉体よりも頭脳で勝負する知能犯だし、松田優作はもともと持っていたタフガイのイメージをかなぐり捨てて、痩せこけた死神のような伊達邦彦を作り上げている。表面的には人畜無害な男が、内面に狂気を宿して次々に凶悪な犯行を重ねていくという展開は、むしろ仲代版からの影響ではないだろうか。もっとも新劇出身の仲代達矢はその役柄を「演技」で作り出そうとしているのに対して、松田優作はダイエットと抜歯という肉体改造でそれを生み出している。役柄に対するアプローチ方法がまるで違うから、両者は結果として似ても似つかないものになっているのだが……。監督の須川栄三はなんとこれが監督2作目。それにしては随分と大胆な映画を作ったものだ。

 大学院生・伊達邦彦の大胆不敵な完全犯罪を描く物語だが、伊達の犯罪と並行して、この完全犯罪の犯人を捕らえようとする刑事たちの捜査を描いていく。刑事を演じるの小泉博と東野英治郎。(この頃は仲代達矢と東野英治郎が俳優座の先輩後輩という関係だ。)映画を観ている人は全員が犯人の正体を知っているので、その犯人が残したわずかな手がかりから刑事たちが犯人の伊達を追い詰めていくあたりは、「刑事コロンボ」などと同じ倒叙型ミステリーの形式になる。この映画が「刑事コロンボ」と異なるのは、伊達の犯行動機におそらく観客のほとんどが共感できないことだろう。「コロンボ」の犯人たちには、まだ止むに止まれぬ犯行動機というのが明確にあったと思う。だが伊達邦彦には留学資金を稼ぐという表向きの理由こそあれ、それが本当の目的とは思えない。彼の犯行には切羽詰まった感じがないのだ。このあたりはむしろ、松田優作版の方がずっと追い詰められた感じがあった。

 この映画の伊達邦彦が恐ろしいのは、彼が実際のところ何を目的に生きているのかがわからないことにある。彼は殺人そのものから快楽を感じているわけではないが、自分の計画のために必要なら躊躇なく人を殺せる人物だ。そしてそのことに、良心のとがを感じたりすることはない。優作版の伊達邦彦が最後は「狂気」の中に身を委ねたのに対し、仲代版の邦彦は最後の最後まで自分を見失わない。彼は徹底して反社会的なサイコパスなのだ。要するにハンニバル・レクター博士の同類だ。たぶんこれは、原作者の大藪春彦が思い描いたヒーロー像とはまったく違ったものに違いない。

Tweet
新文芸坐「仲代達矢映画祭」で上映
配給:東宝
1959年|1時間36分|日本|モノクロ|シネスコ
関連ホームページ:http://www.shin-bungeiza.com
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:野獣死すべし
原作:野獣死すべし (光文社文庫―伊達邦彦全集)
ホームページ
ホームページへ