セレステ∞ジェシー

2013/04/11 シネマート六本木(スクリーン3)
自分にとって心地よい関係が他人に理解されるとは限らない。
仲が良すぎて離婚したカップルの物語。by K. Hattori

13041101  学生時代に知り合って意気投合し、そのまま自然の成り行きで結婚したセレステとジェシーの夫婦。だが結婚から数年たって、ふたりの生き方にずいぶんと隔たりが出てきた。気鋭のメディア・コンサルタントとしてばりばり働くセレステに対し、いまいち芽が出ないアーティストのジェシー。考え方の違いから、ケンカをする機会も増える。「このままじゃいけない!」とふたりが下した決断。それは夫婦関係を解消して、学生時代と同じ親友同士に戻ることだった。これなら夫婦喧嘩は置きようがないし、互いの生活にも干渉せずに自由に暮らせる。もちろんふたりはその後も親友同士。住まいとベッドと財布を分けた以外は、いつでも一緒に過ごしていたのだが……。

 映画はいつの時代も、男女の関係について挑発的な提案や疑問を観客に突きつける。「男と女は本当の親友になれるか?」という疑問を突きつけたのはロブ・ライナーの『恋人たちの予感』(1989)だったが、この『セレステ∞ジェシー』はそのバリエーションのようなものだ。ただしこの映画では、主人公たちが元夫婦(映画の中では正式な離婚がまだ成立していないので離婚に向けて別居中の元夫婦)ということになっている。結婚生活には確かにいろいろなわずらわしさがあるだろう、しかしそうしたわずらわしさを取り去ってしまえば、それで万事OKになるものなのだろうか?

 映画を観ていてよくわからないのは、主人公たちが「結婚を解消して恋人同士に戻る」という選択ではなく、「親友同士に戻る」という選択をしていることだ。現代のアメリカでは「恋人関係」が、「夫婦関係」と実質的に変わらないものになっているということかもしれない。恋人たちは一緒に暮らすし、生計を共にするし、親族間での往来も生じる。子供ができたって「恋人同士のまま」という選択肢だってある。これじゃ離婚して恋人に戻ったところで、何も問題は解決しない。そこで友人同士にまで思い切った撤退をするということだろうか。日本だとまた別の選択があると思うのだが、男女関係が自由になっているお国柄というのは、こういう時にかえって不自由だなぁと思わされる。

 『恋人たちの予感』が提示した疑問に対して明確な答えを出さなかったように、『セレステ∞ジェシー』も問題に具体的な答えを出しているようには思えない。別れた夫婦が親友同士になれるかどうかは、結局のところ周囲の理解次第なのではないだろうか。人間は社会的な動物であり、夫婦にしろ、恋人にしろ、親友同士にしろ、そうした関係性に何らかの定義を与えるのは、当人たち以上に周囲の人間たちなのだ。セレステとジェシーの関係が夫婦なら、周囲もそう見てそう扱う。しかし夫婦なのか恋人なのか友人なのかよくわからない関係になってしまうと、周囲は戸惑ってしまう。当人たちにとってはそれがどれほど自然で当たり前のものだとしても、周囲はそれを認められないのだ。

(原題:Celeste & Jesse Forever)

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5月25日公開予定 渋谷シネクイントほか全国ロードショー
配給:クロックワークス
2012年|1時間32分|アメリカ|カラー|シネマスコープ|ドルビーSRD
関連ホームページ:http://celeste-and-jesse.com
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:Celeste & Jesse Forever
サントラMP3:Celeste & Jesse Forever
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