パパの木

2013/04/10 京橋テアトル試写室
一家の大黒柱を失った家族と1本の巨木の物語。
シャルロット・ゲンズブール主演。by K. Hattori

13031002  自然豊かなオーストラリアで暮らす、夫婦と子供4人の家族。だが夫はある日突然、家族を残したまま心臓発作で急死する。この映画はそんな家族が、家族を失った痛手から抜け出そうともがく姿を描いたドラマ。監督はデビュー作『やさしい嘘』でも家族の喪失を描いたジュリー・ベルトゥチェリ。彼女はフランスの映画監督だが、『やさしい嘘』はグルジアが舞台で、今回の映画はオーストラリアが舞台と、なぜか外国を舞台に映画を作っている。今回は主演がシャルロット・ゲンズブールだが、台詞は全編英語の作品だ。

 タイトルにある『パパの木』は、原題の『The Tree』を映画の内容に合わせて少し説明したものだ。(原作の日本版タイトルでもある。)木は家のすぐ横に生えている巨大なもの。プレス資料やチラシにはイチジクとあるが、オーストラリア原産のオオバゴムノキだ。この家の父親ピーターは仕事が終わって家に帰る途中、家を目前にして心臓発作を起こし、運転していたトラックはノロノロと徐行しながらこの木に衝突して止まった。妻のドーンや子供たちが運転席を見た時、既に父親は意識を失っていたのだ。巨大な木は、ピーターの最後をその幹で受け止め、彼の最後の瞬間を家族と共に看取った。やがて一家の8歳の娘シモーンは、父親が木の中から自分に語りかけてくる声を聞くようになる。妻のドーンもしばしば木に語りかける。家の横の巨大な木が、一家の心を支えるのだ。だがそれは必ずしも健全なものではない。

 オーストラリアが大干ばつに襲われると、巨大なゴムノキは水を求めて四方八方に根を広げていく。それは一家の住む家の土台を壊し、太い枯れ枝を屋根に落として家屋を破壊する。木は死んだ父親の象徴なのだから、これは死んだ父が家族を土台から破壊しようとしていることを意味している。だが家族はその木を処分することができない。折しも母ドーンには、仕事を通じて知り合った新しい恋人ができる。彼は一家の暮らしを守るためにも木を伐採すべきだとドーンに言うが、シモーンはこれを断固拒否し、ドーンもその意見を受け入れざるを得ない。彼女も心の中では、この木を切りたくないと思っているからだろう。ここでは1本の木がまるで人格を持った存在のように、女性や子供を巡って人間の男と三角関係を演じはじめる。

 オーストラリアの自然の中で暮らす素晴らしさや、それと引き替えに与えられる厳しさが伝わってくる作品。しかし物語に込められている寓意や象徴性があからさますぎて、映画が持つ人間味やリアリズムを損なっている部分があるように思う。優れた映画は常に寓意と象徴性を持ち合わせているものだが、それが映画全編をがっしりつかんで放さないというのが少々うっとうしいのだ。悪い映画ではないのだが、映画作品としてはもう少しシックリこない印象が残る。

(原題:The Tree)

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6月上旬公開予定 シネスイッチ銀座
配給:エスパース・サロウ
2010年|1時間40分|フランス、オーストラリア|カラー|スコープサイズ|DTS、ドルビーデジタル、ドルビーSR
関連ホームページ:http://papanoki.com
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
原作:パパの木
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