先祖になる

2013/01/17 京橋テアトル試写室
東日本大震災で全壊した家と地域の暮らしを取り戻せ。
岩手県陸前高田。77歳の男の挑戦。by K. Hattori

Senzoninaru  東日本大震災で甚大な被害を受けた岩手県陸前高田市。そこで半農半林の生活をしている、佐藤直志という77歳の老人がこの映画の主人公だ。2011年3月11日の津波によって、地元で消防団員をしていた長男は彼の目の前で流されて亡くなった。築半世紀になる家は2階の床上まで水に浸かり、土壁ははがれ落ち、家財道具も全滅という大きな被害を受けた。田や畑だけでなく、山の木も海水をかぶってしまった。しかし彼はまったくめげないのだ。避難所に向かわず半壊した自宅に住み続け、仮設住宅ができても移転を拒否する。それどころか、周辺住民がほとんどいなくなった地域の中で、田を耕し、畑を作り、穀物の種をまき、木を切り、昔と同じ生活を取り戻すために動き始める。やがて彼は破壊された家を取り壊し、同じ土地に新しい家を作るのだ。

 映画は震災からわずか1ヶ月後ぐらいから撮影が始まり、約1年半にわたって被災地復興の様子を描いていく。生々しく語られる家族の死の光景。家がなぎ倒され、車の残骸がそこかしこに転がる爆撃跡のような風景は、やがて少しずつ整理されて、見通しはいいが生活の匂いが何もしない広大な廃墟に変わる。避難や仮設住宅への入居を巡り、家族が引き離されていく。地域の町内会も、解散消滅の危機にさらされる。

 震災後の出来事としては、市町村の集団移転の話題をよく耳にするが、町内会レベルの話はあまり気にしたことがなかった。だが地方に暮らす人たちにとって、じつは町内会こそがその地域の紐帯となっている。子供の頃から顔を突き合わせて暮らした、隣近所の住人たちだ。ひょっとすると親や祖父母やそのまたご先祖さまの代から、町内会規模のコミュニティが地域を底辺から支えてきている。だがそれが、震災によって消滅しそうになる。町内会の消滅は、その地域の死を意味する。それだけに、町内会の青年部が地域に伝わる祭りをゼロから再生させようとするエピソードが印象に残る。この映画の中では2年分の祭りが記録されているが、最初の年に1基しかなかった山車が、翌年には2基に増えていることに、土地の人たちの地域再生にかける意気込みが象徴されているように思う。

 被災した家を壊して新しい家を建てようとする主人公の佐藤老人を、近所に住む初老の男が応援している。「なぜ応援するんですか?」と監督に問われて、彼は「佐藤さんは普通のことを普通にやろうとしているからだ」と答える。そうかもしれない。東日本大震災という未曾有の大災害の中で、人が人として普通に生きることはとても難しい。しかし佐藤老人はその普通のことを、たったひとりでやり遂げようとしているのだ。震災前の普通の暮らしを取り戻したいと願っている人たちにとって、これほど頼もしい存在はないだろう。だが普通であろうとすることが、周囲の人を傷つけることもある。佐藤老人の妻が、映画の途中で姿を消してしまったことが気になる……。

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2月16日公開予定 シアター・イメージフォーラム
配給:蓮ユニバース 宣伝:PALETTE
2012年|1時間58分|日本|カラー|ヴィスタ
関連ホームページ:http://senzoninaru.com
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