桐島、部活やめるってよ

2012/08/01 ショウゲート試写室
ひとりの男子生徒が突然部活をやめたことで広がる校内の動揺。
高校生たちの学校生活をリアルに描写。by K. Hattori

Kirishima  2009年に第22回小説すばる新人賞を受賞した朝井リョウの同名小説を、『クヒオ大佐』や『パーマネント野ばら』の吉田大八が映画化した学園青春ドラマ。原作はひとつの世界を共有しながら5人の高校生の日常をそれぞれの視点から描くオムニバスだが、吉田監督と劇団ナイロン100℃の喜安浩平が脚色した映画版は前半に複数視点を入れて各キャラクターを紹介しつつ、中盤以降は比較的スタンダードな群衆劇の体裁となっている。

 男子バレーボール部の花形選手だった桐島が、突然部活をやめた。桐島中心にチームを組み立てていたバレーボール部に動揺が広がるのは当然だが、桐島の彼女や親友もこのことをまるで知らされていなかった。友人たちは本人に連絡を取ろうとするが、電話は不通でメールにも返事はない。桐島不在のまま、学校内の人間関係は微妙に変化してゆく。それは桐島と直接接点があった生徒たちだけでなく、それ以外の生徒たちにも影響を与える。桐島の退部という小さな事件が、校内の微妙なバランスを崩して行くのだ。

 現代の高校が舞台になっている映画だが、かつて高校生だった人たちは、これを観て思い当たる節があちこちにあるはずだ。こうした群衆劇では、観客が登場人物の誰かに自分自身を投影して感情移入できるようになっているのだろうが、僕も映画を観ながら登場する高校生の何人かに自分自身の高校時代を重ね合わせていた。しかし特定のこの人という対象があるわけではない。映画部員のダメダメな面々や、ちっともはじけない吹奏楽部の女子生徒、放課後もだらだら学校に残り続ける帰宅部の生徒たちを眺めながら、「これは俺だなぁ」と思っていた。運動部系はまったく縁がないので無関係だが、女子4人組グループの面倒くさい人間関係などは似たような経験や思いが無い訳でもない。

 最初から最後までまったく鬱陶しい話なのだが、ここにある人間関係がことさら複雑というわけでもない。むしろ人間関係はきわめて単純だ。しかし登場する高校生たちはその「単純な人間関係」を維持するために、じつに細やかに気を配っている。自分の感情や思いをそのまま表に出せば、人間関係には不要な波風が立ち、関係は複雑なものになるだろう。だからそうした思いは表に出さない。熱くなることなく、冷静に、クールに状況を見て、互いの距離観を計っている。狭い水槽の中に閉じ込められている魚が、互いに衝突することなく距離を保つのと同じだ。桐島の突然の退部は、こうした微妙な距離関係に一石を投じる。人間関係の中にぽっかりとひとつの穴が空けば、そこを埋めるために周囲はさまざまな調整作業をしなければならない。ぎくしゃくと不器用に、少年少女たちはざわめき動き始める。その右往左往ぶりを描いているのが、この映画なのだ。

 高校生の学校での日常をリアルに描いた映画。自分自身のダメな高校時代を思い出して、かなり嫌な気分になってしまった。

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8月11日公開予定 新宿バルト9
配給:ショウゲート 宣伝:ムヴィオラ、ティー・ベーシック、ヨアケ
○○年|1時間43分|日本|カラー|サイズ|サウンド
関連ホームページ:http://www.kirishima-movie.com/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
原作:桐島、部活やめるってよ(朝井リョウ)
原作コミック版:桐島、部活やめるってよ (マーガレットコミックス)
主題歌CD:陽はまた昇る(高橋優)
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