―白磁の人―

2012/03/22 ショウゲート試写室
日本統治下の朝鮮で人々に愛された日本人・浅川巧の伝記映画。
原作は江宮隆之。監督は高橋伴明。by K. Hattori

Hakujinohito  大正から昭和初期にかけて、日本統治下の朝鮮半島で朝鮮民具を研究した浅川巧の伝記映画。彼は大正3年に朝鮮半島に渡り、朝鮮総督府の林業試験場で働いた。乱伐で荒廃した山々を再生させることが、巧に課せられた大きな仕事だった。巧は朝鮮の人々とその暮らしを愛し、その中に溶け込もうとした。積極的に朝鮮語を覚え、朝鮮服のパジ・チョゴリを着て街を歩くこともあったらしい。当時の日本は朝鮮を強権と武力で支配しようとする武断政治を行っており、巧は日本人としてこれに大いに心を痛めた。彼が植林事業や朝鮮民具の収集研究という仕事にのめり込んでいく動機には、こうした「日本人としての負い目」があったのかもしれない。巧は私財をなげうって朝鮮民具を集め、兄の伯教や民芸研究家の柳宗悦と協力して、大正13年には京城(現在のソウル)に朝鮮民族美術館を作った。昭和6年に巧が41歳で死去すると、大勢の朝鮮人がその葬儀に集まり、競うようにしてその棺を担いだという。

 原作は歴史小説家・江宮隆之の「白磁の人」。江宮は浅川兄弟と同じ山梨出身で、おそらく郷土の偉人として浅川巧に着目したのだろう。映画は巧が朝鮮半島に渡るところから物語が始まり、巧の死を経て、第二次大戦後の朝鮮解放までを描いている。原作は未読だが、映画は巧の同伴者とも言うべき朝鮮人の青年チョンリムを、物語のもうひとりの主人公にしているのが特徴。チョンリムは最初、巧を風変わりな日本人ぐらいに見ているのだが、やがて巧の人間としての正直さや誠実さに感銘を受けて行く。巧を慕うチョンリムは、同じように巧を慕う多くの朝鮮人たちの気持ちを代弁する人物なのだ。だが時代の流れの中で、チョンリムの周辺も慌ただしいものになっていく。1919年には三・一運動が起きて、多くの死傷者や逮捕者が出た。チョンリムの親友もこの中で亡くなる。弾圧の中で表立った独立運動は沈静化して行くが、抗日独立派は地下に潜ってゲリラ化し、チョンリムはそうした人たちから「親日派」のレッテルを貼られて苦しむことになる。

 この映画からは浅川巧がユニークな人物だということは伝わってくるが、それ以上のことになると焦点がぼけてしまっと思う。浅川兄弟が多才な人であったのは事実だろうが、それを総花的に描いても輪郭が不明確になってしまう。浅川巧という人物の中に中心になるコンセプトが、映画を観ていてもわからないのだ。劇中では柳宗悦が「巧さんは白磁のような人だ」と言っているが、残念ながらこれではわからない。映画の中では浅川兄弟がクリスチャンだったことに触れられていないが、兄弟の行動の根底にはキリスト教的な隣人愛の精神があったのではないだろうか……と思ったりもする。

 映画の中で一番感動的なのは、手塚理美が演じる浅川兄弟の母のエピソードだろう。最初からどうなるのか予想は付くが、それでもホロリとさせられる。

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6月9日公開予定 新宿バルト9、有楽町スバル座
配給:ティ・ジョイ 宣伝:ヨアケ 宣伝協力:フリーストーン・プロダクションズ
2012年|1時間59分|日本|カラー|ビスタサイズ|ドルビーSRD
関連ホームページ:http://hakujinohito.com/.
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
原作:白磁の人(江宮隆之)
関連書籍:浅川巧関連
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