おとなのけんか

2012/01/24 SPE試写室
ロマン・ポランスキー監督による辛口のコメディ映画。
あえて舞台劇風の演出になっている。by K. Hattori

Otonanokenka  日本でも翻訳上演されているヤスミナ・レザの戯曲「大人は、かく戦えり」を、ロマン・ポランスキーが映画化した辛口のコメディ。出演はジョディ・フォスター、ケイト・ウィンスレット、クリストフ・ヴァルツ、ジョン・C・ライリーと、巨匠監督の周囲に芸達者な役者が集まった。原作戯曲はパリが舞台になっているそうだが、映画は場所をニューヨークのブルックリンに移している。ところが監督のポランスキーは過去の未成年者レイプ事件があってアメリカには入国できないので(入国すると即刻逮捕されてしまう)、アパートのセットはパリ郊外のスタジオに組んで行われている。前作『ゴーストライター』もそうだが、ポランスキーの映画はアメリカを舞台としながらアメリカでは撮影できないという制約が弱点にならず、むしろ特徴的な作風を際立たせることになっているようにも思う。

 物語の発端は子供同士のケンカだ。カウアン家の息子ザッカリーが口喧嘩の挙げ句かっとなり、またま手に持っていた棒きれを振り回してロングストリート家の息子イーサンの前歯を折ったのだ。訴訟大国アメリカと言えども子供同士のケンカぐらいでいちいち裁判を起こすわけではないが、法的な処理をきちんとするため両家の親たちが集まって和解文書を作成。ところがこれで一件落着とはならなかった。「時間があるならどうぞお茶でも」とロングストリート夫妻が言い出せば、カウアン夫妻もそれに応じて両家はしばし歓談。しかしこれが、新たな厄介ごとの幕開けだった……。

 日本人の感覚からすると、加害者側の親であれ被害者側の親であれ、当面の問題さえ解決すればさっさと別れて距離を置きたいのではなかろうか……とも思うのだが、そういう気まずさはこの映画の登場人物たちに無縁のようだ。何度も「そろそろおいとまを」という話が出ても、その都度ロングストリート家の部屋に戻ってくるカウアン夫妻。もちろん脚本の上でもこのあたりは工夫していて、あれこれきっかけを作ってカウアン夫妻を引き留める。しかし少なくとも僕の感覚では、「それでも普通は帰るでしょ?」と思わざるを得ない。帰ってしまうとそこで話が終わってしまうから、そうならないように脚本も、監督も、演じている役者も、そして映画を観ている観客もグルになっているだけなのだ。

 そう、ここでは観客もグルになっている。ここかしこに存在するどうしようもない不自然さに目をつぶることで、観客はこの映画の成り立ちそのものの中に参加しているのだ。これはいかにも演劇的だ。この映画は最初から最後まで、こうした演劇的匂いを強く残した作品として作られている。これは作り手の意図的な演出だ。ここにある演劇的なリアリティ空間に飛び込むことで、観客は主演4人の丁々発止のやりとりを安心して、余裕を持って楽しめるようになるのだ。

(原題:Carnage)

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2月18日公開予定 TOHOシネマズ シャンテ
配給:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
2011年|1時間19分|フランス、ドイツ、ポーランド|カラー|スコープサイズ|SDDS、ドルビーSR
関連ホームページ:http://www.otonanokenka.jp/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
原作(英語版):The God of Carnage
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